(※写真はイメージです/PIXTA)

2013年、「いじめ防止対策推進法」が施行されましたが、残念ながら十分な効果をあげているとはいえないようです。いじめはなぜなくならないのでしょうか。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

警察の介入は必ずしも教育の放棄ではない

「いじめ」の定義は何度か見直されてきました。文部科学省は、いじめ防止対策推進法の施行に伴って、2013年度に次のように定義しました。

 

『「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』

 

この中にある「心理的又は物理的な影響を与える行為」とはあいまいな表現ではないでしょうか。学校という特殊な空間の中で、教育をいわば“治外法権”の中と捉え、社会と隔絶された世界をつくっているとすれば、おかしなことです。

 

「心理的又は物理的な影響」を重大なケースで言い換えれば、脅迫罪、強要罪、恐喝罪、殺人罪、傷害罪、器物損壊罪などに該当する可能性があるのではないでしょうか。また、人権侵害やハラスメントを含めると、いじめのケースの多くをくくることができると思います。いずれも違法行為、ルール違反です。人権擁護の意識は世界のコンセンサスです。

 

学校も実社会の場です。学校の中だから、教育的配慮が必要だから、などと理由を付けて結果的に対応があいまいになっていないでしょうか。

 

「犯罪行為、ルール違反には相応のペナルティーが科される。学校は聖域ではない」

 

子どもたちにこう説明し、教えることこそ、現実的な教育につながるのではないでしょうか。いじめに警察を介入させることは、必ずしも教育の放棄だとは思いません。学校で起きたいじめという“犯罪”を学校、教育というオブラートで包んで、責任をあいまいにする行為こそが教育の放棄です。

 

「いじめ防止対策推進法」は「児童等は、いじめを行ってはならない」といじめを禁じ、いじめた子どもに対して「校長と教員は教育上必要であれば懲戒を加えるものとする」と定めました。いじめが犯罪行為と認められる際は警察と連携し、生命、身体、財産に重大な被害が生じるおそれがある時は直ちに警察に通報すると定めています。

 

文部科学省は「いじめ問題への的確な対応に向けた警察との連携について」という通知を出し、各都道府県の教育長らに警察との連携強化を求めています。自治体も条例を相次いで制定。人権擁護の観点から全国の法務局も専用の相談電話「子どもの人権110番」を設置しています。

 

知人の教員が勤める公立学校は、数年前から、深刻なケースは警察に通報するようになったそうです。特に加害者の子どもは、自分の行為は社会の中では許されないことだと肌で実感するのではないでしょうか。何よりも、犯罪行為や人権侵害にさらされている子どもがいたら、一刻も早く救い出さなければなりません。被害生徒が命を絶ってしまった後では遅い。被害生徒、加害生徒の人生が狂ってしまった後では遅いのです。

 

次ページだめなら学校に見切りをつければいい

本連載は、岡田豊氏の著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)より一部を抜粋し、再編集したものです。

自考

自考

岡田 豊

プレジデント社

アメリカでの勤務を終えて帰国した時、著者は日本は実に息苦しい社会だと気付いたという。人をはかるモノサシ、価値観、基準の数があまりにも少ない。自殺する人があまりにも多い。笑っている人が少ない。他人を妬む。他人を排…

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