(※写真はイメージです/PIXTA)

日本企業が生き残っていくには、どんな戦略が必要なのか。戦争やバブル崩壊、震災を乗り越え、140年以上も続く超長寿企業・鍋清に学ぶ。鍋清は元は鍋や釜の鋳造業の会社だったが、現在はベアリングの商社事業とアルミパーツの製造を主軸としている。業種や事業領域の変更にはリスクが伴ううえ、後発の市場参入は不利な点が多い。それでも鍋清が成功し続けた理由とは何か? ここでは、アルミ事業に本格参入した当時のエピソードを振り返る。

「スピード重視のオーダーメイド加工」で事業成功

当初は4人でスタートしたアルミ製品の加工事業だったが、受注が増えるにつれて社員も場所も足りなくなった。

 

「こっちに人を回してください」

「貸し倉庫が手狭なのですが、どうにかなりませんか」

 

そんな声が聞こえるようになったのは2001年に入ったばかりの頃だったと思う。

 

アルミ事業を始めて1年くらいしか経っていない。それくらい速い勢いで事業が伸びていた。アルミ事業に本格参入すると決めて、2001(平成13)年に名古屋市に隣接する大治町に延べ床面積1000平米を超える倉庫を借り、工場に模様替えした。同時に子会社・光清を鍋清に統合し、全社を挙げてアルミ製品の加工事業に力を入れることにした。

 

大治の工場の稼働と前後して、トヨタやデンソーなど大手自動車メーカーの系列工場との取引がスタートした。自動車系の工場は製品の質の検査が厳しい。しかし、鍋清の製品は強度や耐久性などに関する規格をすべてクリアし、それがまとまった注文につながった。自動車産業向けでは、アメリカのGMに製造装置を納入している日本の機械メーカーを通じて、アルミ製の安全柵などを提案し、採用されたこともあった。

「常に新しい市場を探す姿勢」がヒット商品を生む

生産能力と取引先が拡張し、忙しさが増していくなかでも、やっぱり新しいことをやりたいと考えるのが鍋清の特徴である。

 

「工場向けの安全柵や安全カバー以外に、新規で開拓できる市場はないだろうか」

 

そんな会話が、会議室や現場で日々繰り返されていた。

 

「鉄からアルミの置き換えで新たな市場を考えてみよう」

「よし、俺はアルミ部材の需要が伸びている業界を見てみる」

 

そんなふうにして個々が需要を探す。まさに「全員経営」だ。

 

その取り組みで見つけ出したのが、太陽光発電パネルを設置するための架台だった。クリーンエネルギーや再生可能エネルギーの活用が注目され、メガソーラーと呼ばれる大規模な太陽光発電所があちこちで増えていた。

 

「あのパネル、アルミに乗っけているんです」

 

社員の一人が架台がアルミ製であることに気づくと、すぐさま実態と商機を探るための調査に取り掛かった。

 

運よく、太陽光発電関連の大規模な展示会が東京ビッグサイトで開催予定だった。

 

「担当者を派遣してチェックしてきてもらおう」

 

そう考え、社員数人に調査に向かってもらった。彼らから受けた調査報告は、予想どおりであり、期待以上だった。

 

話のとおり、架台の9割はアルミ製だ。韓国製や中国製が多く、しかも、技術力のなさそうな企業が作っている。

 

「コスト最優先で作っているんです」

 

見学に行った社員が言う。

 

「それなら、強度や耐久性はあまり期待できないな」

 

私はそう言い、鍋清に勝機があるように感じた。

 

「ええ。コストが安ければ、発電事業に乗りだす際のイニシャルコストは安くできます。しかし、太陽光発電は長く続けるものです。長く稼ぐためには架台の質が高いほうが良い。そういう提案ができるだろうと思います」

 

「我々が見てきた限りでは、強度設計などはかなりいい加減でした」

 

彼らの報告を聞き、私は「勝てる」と思った。

 

「よし、すぐに商品化しよう」

 

そう号令を掛け、新商品開発が始まった。

 

それから間もなくして出来上がった鍋清製の架台は、少ない素材で高い強度を実現した点が特徴だった。

 

スライド機構を組み合わせ、さまざまなサイズの太陽電池モジュールを、さまざまな斜面角度で設置できるようにしたのもアイデアだった。

 

コスト面では中韓メーカーの製品と互角に張り合えるところまで届かなかったが、材料となるアルミの押出し材を中国から調達し、十分に競争力がある価格に抑えることができた。その後、架台は工場向け安全柵と安全カバーに次ぐヒットとなった。

新規事業は、新しい顧客をつくり出すきっかけ

アルミ加工事業は、新たな収益源になっただけでなく、新しい顧客もつくり出した。鍋清が手掛けてきたベアリングはメーカーとの代理店契約を結んで販売する仕組みであるため、契約地域以外では販売できない。

 

しかし、アルミ製品は自社オリジナルであるため、全国で売れるし海外でも売れる。

 

顧客は年々増え続け、IHIや東芝などベアリング事業では接点がなかった大手企業も含めながら、100社、200社と増えていった。

 

また、このような実績が海外で評価され、世界第2位の中国のアルミメーカーから日本での代理店にならないかとオファーされた。この会社からは、アルミ製品の材料となるアルミの押出し材を購入していた。

 

鍋清の購入量そのものはそう多くはない。それでも代理店オファーを受けたのは、我々が日本国内で新たなアルミ材の用途を開発し、商流を切り拓いてくれると期待されたからだった。

景気のどん底でも「市場に向き合う会社」は生き延びる

その後、アルミ加工事業は順調に伸び、鍋清の事業の二本目の柱になった。2015(平成27)年にはそれまで7ヵ所に増えていた工場を整理し、新設した蟹江工場など2ヵ所に集約した。ただし、事業としての安定性は高まったが、変化を察知し、世の中のために半歩先を行こうとする姿勢は変わっていない。

 

2020年の新型コロナウイルスの感染拡大では、感染予防対策として事務所向けのパーテーション「NABE SAFETYパーテーション」を開発し、発売した。

 

変化が起きれば課題が生まれる。その解決策を徹底的に考え抜いた先に、ヒット商品があり、事業の成長があるのだと思う。課題についてもう一つ思うのは、市場と直接向き合うことが大事だということだ。

 

多くの中小企業は、大手の下請けとして発注元の指示どおりに部品などを調達したり、製造したりする。小売業やサービス業も、比較的狭い商圏で、特定の顧客を対象としながら事業を継続していくスタイルが一般的だ。

 

かつての鍋清もそうだった。このような事業モデルは市場とは直接的には向き合わない。市場の動向を注視しなくても、発注元である大手企業や地域の常連さんが顧客としてそれなりに定着するからだ。

 

しかし、事業環境の大きな変化を耐え抜いていくためには、自分たちで仕事を生み出し、自分たちで商品やサービスを作る力が求められる。戦争は起きないとしても、プラザ合意やバブル崩壊のような大きな出来事が、いつまた起きるか分からない。景気がどん底の状態になったとき、大手からの注文や常連が来てくれるのを待っているだけでは心許ない。

 

自力で稼ぐために、例えば、オリジナルの製品やサービスを開発したり、新たな販路開拓に取り組んだりする。そういう積極的な姿勢が大事であるし、社員一人ひとりが次のヒット商品や次の顧客を作るという意識をもち、市場と向き合うことが大事だと思うのだ。

 

 

加藤 清春

鍋清株式会社 代表取締役社長

 

 

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本連載は加藤清春氏の著書『孤高の挑戦者たち』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

孤高の挑戦者たち 明治10年創業、ベアリング商社が大切にする経営の流儀

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加藤 清春

幻冬舎メディアコンサルティング

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