いつからすれ違っていたのか

福井県出身。大阪の大学を卒業後、京都の機械メーカーに勤めた。20代で結婚し、娘が二人いる。長い会社員生活で、いま暮らす街をよく知らないままだった。

退職前は、県外での単身赴任が10年以上続いた。妻は時折来て家事をしてくれた。ただ、思えば、単身赴任の間に妻のことが分からなくなっていったのかもしれない。

退職後、「テレビを見ようか」と声をかけたら、「好みが違う」と断られた。今後の暮らしについて話したとき、妻は言った。「私の年金は私が全部使うから」。

アカンやろ。普通は夫婦の年金で生活するだろう。そう思い、自分の年金の額や今後の生活を説明した。でも、妻は年金を共有の口座に入れなかった。

とはいえ、日ごろの生活費は一人分の年金では足りない。口座には入れなくても、妻が年金の一部で補っているようだ。

退職後、妻や友人らと各地を旅行した。でも普段は「どこに行こうか」と考える毎日だった。弱音を吐く姿を妻や一緒に暮らす娘には見せなかった。「お父さんは何でもできる」というイメージが変わってしまう。しんどくないように演じたほうが楽でいい。

定年退職後の暮らしのすりあわせ

「お前、暇やろ?」

退職から1年半が過ぎるころ、元同僚から声をかけられた。「うん、暇」と返すと、地域の歴史を学ぶ会を紹介された。定年後の男性らが集う団体にも誘われ、入った。勧められてシニア世代が学ぶ「大学」にも通い始めた。

いま、月の半分ほどが予定で埋まる。努力しなくても「週3日のノルマ」をこなせるようになった。日々、自分で行き先を考えないといけなかったころと違い、いまは予定された行き先が多く、やらないといけないことがある。

なんと楽で、幸せなことか。もしも元同僚の「暇やろ?」の声がけがなかったら、「きつかったやろうな」。

会社であれ、地域であれ、「ちょっと声をかけよう」と思ってもらえる、そんな状況を退職までに作っておくのが一番だと感じる。

人間関係の準備ができなかったのと同じように、妻と定年退職後の暮らしのすりあわせもできていなかったのだと思う。長年、夫が不在だった妻には、妻の生活のペースができてしまっていた。

退職後の生活も数年たった。お互いに少し楽になり、妻は多少、優しくなったようにも感じる。それでも、そのほうが妻が喜ぶから、いまもできるだけ外に出て昼食を食べるように心がけている。

朝日新聞取材班