優雅で知られるイギリス・ヴィクトリア王朝ですが、その陰には、疫病や経済格差に苦しみ、困難な運命を生きる人々がいました。なかには、生活の糧を得るために“今では信じられないような職業”に従事していた人々も…。歴史系YouTuber・まりんぬ氏の著書『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』(佐藤幸夫氏監修、KADOKAWA)より一部を抜粋し、見ていきましょう。
そんな職業アリ!? 本当にあった「今では信じられないような職業」3選
イギリスで1837年から始まったヴィクトリア王朝。その優雅で美しいスタイルは、今も私たちを魅了しています。しかし、この時代は上流階級に生まれない限り、疫病や貧富の差が貧しい人々を苦しめ非常に困難な運命が待ち受けていました。今回は、そんなヴィクトリア王朝時代に存在した、今では信じられないような職業についてご紹介します。
①あなたの罪、代わりに背負います――「罪食い人」
~お代はわずか数百円!生前“ワル”だった故人の「天国行き」をお手伝い
愛する人が亡くなり、悲しみに暮れて葬式の準備をしている最中に「ああ、でもこの人は生前は結構悪いこともしていたんだったわ大変! このままでは天国には行けないわ!」と心配になったら…。ヴィクトリア王朝の人々は、ある男に連絡をしていました。
その葬式には変わったお客が登場します。それは、貧しい身なりの見知らぬ男でした。この家族とは縁もゆかりもない男性は「罪食い人」と呼ばれ、なんと故人の生前の罪を、代わりに背負ってくれるのです。なんという都合の良い話なのでしょうか。そして清廉潔白となった故人はめでたく天国へ旅立てるのでした。
罪食い人は一般的に貧しい人や物乞いたちが務めていました。遺族に呼び出された罪食い人は、亡骸の上に置かれたパンを食べたりビールやワインを飲んだりすることによって、故人の罪を受け継ぐことができると考えられていました。その代金は、数百円程度だったと言われています。
イングランド国教会の信者たちは日頃から、「罪」について非常に心配していました。人は罪から解放されなければ天国へは行けない、また罪を神父に告白すれば神の赦しを得ることができるとも考えられていました。もちろん、教会はこのような罪食い人の存在を認めてはいませんでしたが、罪の負い目から救われる必要悪として受け入れられていたのです。
しかしながら、自分を犠牲にして他人の罪を代わりに被ってくれるというありがたい存在であるにもかかわらず、罪食い人は人々から忌み嫌われていました。例えば、ヴィクトリア王朝より少し後の1926年に書かれた本『葬儀の慣習(Funeral Customs)』によれば、1825年に目撃された罪食い人は、街ではあからさまに避けられ、基本的には離れた場所でひとりぼっちで生活していたそうです。というのも、彼らは悪霊や魔術と関連していると考えられていたからです。そして人々は、誰かが亡くなった時だけ彼らを呼び出すのでした…。まったく、自分勝手な話ですね。
②吸血動物・ヒルで稼ごう!「ヒルコレクター」
~瀉血ブームでヒルの需要アップ。「ヒル採集」がビッグビジネスに
19世紀のヨーロッパでは、ヒルの需要が急激に高まりました。あの小さな生物が大きなビジネスの商品となり、数千万匹が取引されるほどでした。なぜそんなものが必要とされたのでしょうか?
今から考えると信じられないことですが、古代エジプトをはじめ、何千年も前から人々は瀉血(しゃけつ)という治療法を行っていました。悪い血を流せば、ペストからニキビまでさまざまな症状が治ると信じられていたのです。一般的には首や腕の静脈や動脈を切開して血を流すというやり方でしたが、時には過剰となり、失血死につながることもありました。そしてこの瀉血の際に、出血の量をコントロールしやすく便利であるという理由で、ヒルが使われることもあったのです。19世紀のヨーロッパでは、ヒルを使った瀉血が一大ブームとなりました。「ヒル治療は万能で頭痛、気管支炎、チフス、そして赤痢も全部治ってしまう!」と考えられており、大衆は飛びつきました。もちろん、そんなことはあり得ないのですが…。
例えばフランスのある医師は、一度の治療に50匹のヒルを使用し、患者の血を抜くことで知られていました。そのため彼には「医学界の吸血鬼」という非常にカッコイイ異名がつけられていました。ヒルはやがてステータスシンボルとなり、薬屋では美しい芸術品のような陶器にヒルが入れられて保管されていました。
急激に需要が高まったヒル事業の末端には、ヒルコレクターと呼ばれるヒル採集に従事する人々もいました。彼らは貧しく、中には老人もいました。スカートやズボンをまくり上げ、汚れた池に入ってヒルを収集しました。水草や沈殿物により歩行が困難な場所でしたが、彼らは杖で植物を揺らしてヒルを刺激し、ヒルに自分の足を噛まれるのを待ちます。時には馬を池に入れてヒルを集めることもありました。皮膚に付着したヒルは剥がされて容器に入れられますが、彼らはヒルに長時間吸われたり噛まれたりすることで酷い失血を経験することもありました…。また常に不潔な水の中にいたため、ヒルに噛まれた傷口から感染症にかかることもありました。
ヒル収集は大規模なビジネスとなり、乱獲が行われるようになりました。その結果、アイルランド、オランダ、イングランドなどでは医療用ヒルが絶滅寸前に追い込まれてしまいました。貧困に苦しむヒルコレクターたちは、ヒルを求めて池を歩き続けましたが、やがてヒルは見つからなくなってしまいました。その後ヒルの養殖が行われるようになり、数千万匹のヒルが各国に輸出されました。しかし19世紀の終わりに、医学会が瀉血の効果の無さを認識するようになると、ヒルは薬屋から姿を消し、ヒルを収納していた陶器は古物商で取引されるようになってしまいました。
③汚水から金品ゲットだぜ!夜の下水道に現れる「下水ハンター」
~60歳から80歳も大活躍!時には“即死”もありますが、健康で高収入な職場です
日が暮れると、ロンドンの下水道にはランタンを持った怪しい男たちが集まります。彼らは脂ぎったロングコートを身にまとい、汚れたズボンと古びた靴を履いていました。通称「トシャー(tosher)」と呼ばれている彼らは、下水ハンターとして知られていました。彼らの目的は下水道の中から貴重な品物を見つけ出すことです。不潔な汚水を手でかき回し、食器、銀のカトラリー、コイン、そして幸運な時はジュエリーを拾っていました。絶望的な職場環境ではありますが、彼らは当時の労働者階級の中では高収入でした。
19世紀のロンドンの下水道は非常に危険な場所でした。長年の増築によって複雑に入り組み、老朽化した箇所もあり、触れてしまうだけで生き埋めになる恐れもありました。さらに有毒なガスが大量に蓄積している箇所もあり、誤って吸ってしまうと即座に命を落としてしまう危険があったのです。
この地獄のような環境の中で、下水ハンターたちにとって最も恐れられた存在がネズミでした。下水道は不潔なネズミの巣窟であり、彼らは侵入者の顔や足に向かって、ピョンピョン飛びかかって襲ってくることで知られていました。ヘンリー・メイヒューというジャーナリストによる下水ハンターへのインタビューでも、ある下水ハンターが無数のネズミに襲われ、その後骨だけが発見されたという事件が語られました。…なんとも恐ろしい職場です。こういった下水道でのさまざまな危険を回避するために、下水ハンターたちはグループで行動していました。
彼らの中には60歳から80歳くらいの高齢者も存在していました。下水ハンターたちは日々の活動で体を動かすため、体力があり、健康な状態を保っていたのです。彼らは長年の経験と知識を活かし、危険な場所を避けつつ、コインや貴重なアイテムが多く存在するエリアを探しました。その結果、商売繁盛につながり、不衛生な職場環境にもかかわらず、彼らは長寿を全うすることができたのだそうです。
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【まりんぬ'sコメント】
ほかにも19世紀のヨーロッパには「目覚まし屋」街頭に明かりをつけて回る「ランプライター」など現在ではありえない奇妙な職業がたくさんありました。
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【著者】まりんぬ
歴史系YouTuber。イギリス在住。イギリスを中心に主にヨーロッパのニッチな歴史ネタを紹介し、支持を集めている。動画は著者自らが出演、ストーリーテラーとなる形式で、中世~近代の王家・貴族から庶民の話まで、多ジャンルにわたる。ゾクッとするような内容もユーモラスかつ丁寧に解説し、女性を中心とした歴史ファンに人気。チャンネル登録者数30.1万人(2024年3月時点)。
【監修】佐藤 幸夫
代々木ゼミナール世界史講師。エジプト在住。世界史ツアーを主催しながら、年3回帰国して、大学受験の世界史の映像授業を収録している。世界102ヵ国・300以上の世界遺産を訪れた経験をスパイスに、物語的な熱く楽しく面白い映像講義を展開する。2018年からは「大人のための旅する世界史」と題して、社会人向けの世界史学び直しツアーを開催。また、オンラインセミナーとして「旅する世界史」講座を実施、世界史×旅の面白さを広げている。著書に『人生を彩る教養が身につく 旅する世界史』(KADOKAWA)などがある。