フィリップス曲線が表す関係
経済のパフォーマンスを表す指標として、インフレ率と並んで注目されるのが失業率です。この2つの関係を示すのが、「フィリップス曲線」です。
図表2に示されるように、横軸に失業率、縦軸にインフレ率をとると、両者の関係は右下がりの曲線で表されます。
右下がりのフィリップス曲線は、失業率が高いときにはインフレ率が低く、失業率が低いときにはインフレ率が高くなるというトレードオフの関係があるということを示しています。
この関係性は、経済学者のウィリアム・フィリップスによって、長年にわたるイギリスのデータから発見されたことに由来して、フィリップス曲線と呼ばれています。
同様の関係は他の多くの国でも観察されています。なぜ、インフレ率と失業率の間にはこのような負の関係が生じるのでしょうか?
まず、総需要が増えると、物価が上昇する関係にあることが原因です。総需要の増加は、経済全体に価格の上昇圧力をもたらし、インフレ率を高めます。
一方、総需要が高い水準にある時には、商品やサービスが購入されやすいので、企業は生産を拡大します。そのため雇用が増え、失業率は低下します。結果として、低失業と高インフレが同時に生じることになります。
世界中で金融政策に使用されている「フィリップス曲線」
アメリカの中央銀行である連邦準備銀行(FRB)の目標は、「物価の安定」と「雇用の最大化」です。この2つを達成するために、FRBは金融政策を調整しています。
これは、フィリップス曲線上で、最適な点を追求するということを意味しています。景気が過熱し、雇用が増えすぎ、失業率が低下すると、物価が上昇してしまうので、FRBは金融引き締めを行い、景気をクールダウンさせようとします。
逆に、不況で失業率が上昇すると、インフレ率が低下しすぎるため、FRBは金融緩和を行い、景気を浮揚させようとします。
一方、日本銀行を含め、世界の中央銀行の中には雇用を明確に政策目標にしていないものもありますが、経済を分析する際には、やはり雇用や失業率の動向を注視しています。
つまり、世界の中央銀行は、フィリップス曲線を、金融政策を検討する際の重要なツールとして位置付けているのです。こうしたフィリップス曲線に対し、コロナ禍後には変化が起こっていることが指摘されています。
1年半におけるフィリップス曲線の傾きの変化によって、手探りの金融政策に
サンフランシスコ連邦準備銀行のエコノミストが行った調査研究によれば、コロナ禍からの経済回復の中で、アメリカをはじめ多くの先進国で、フィリップス曲線の傾きが「急に」なっていることが示されています※3。
※3 Hobijn, B., R. Miles, J. Royal, and J. Zhang, 2023. “The Recent Steepening of Phillips Curves.” Chicago Fed Letter, No. 475, Federal Reserve Bank of Chicago.
図表3をご覧ください。これは、パンデミック前の7年間(2013年から2019年)とパンデミックからの回復期の1年半(2021年第1四半期から2022年第2四半期)のアメリカのフィリップス曲線を示したものです。
アメリカのフィリップス曲線は、パンデミック前は平坦でしたが、パンデミックからの回復期にその傾きが急になったことがわかります。
こうした、フィリップス曲線のスティープ化(傾斜上昇)は、アメリカだけでなく、イギリスやフランスなど他の先進国でも観察されています。フィリップス曲線のスティープ化は何を意味するのでしょうか?
フィリップス曲線の傾きが平坦であれば、失業率が下がったときに、インフレ率はあまり上昇しないということを示しています。しかし、その傾きが急であれば、失業率が従来と同じ程度下がったとしても、インフレ率が大幅に上昇するということを意味しています。
ただし、注意が必要です。図表3からも、フィリップス曲線の形状が変化したことは明らかですが、本当にフィリップス曲線の傾きが変化したのか、また、そうであれば、それが一時的なものなのか、持続的なものなのかについてはまだ明らかにされていません。
というのも、パンデミックからの回復期の期間は短く、正確な判断を下すには十分な情報がそろっていないからです。
とはいえ、フィリップス曲線の形状が変化したことで、従来のように金融政策を行うのが困難になっています。つまり、利上げの効果が見通しにくくなっているということです。
たしかに、現在はフィリップス曲線の傾きが変化したことがデータで示されていますが、政策当局者が政策を決める際には、リアルタイムでこの変化が把握できるわけではありません。
それゆえ、現在は金利を上げてインフレの様子を見極めるという手探りの金融政策が行われているのです。
宮本 弘曉
東京都立大学経済経営学部
教授
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