(※写真はイメージです/PIXTA)

2011年3月11日に発生した東日本大震災。震災から10年が経過した今も、すべての地域において復興・再生が完了したわけではありません。現在、復興のためにどんな取組みが行われているのか。医療・福祉側の立場から見てみましょう。

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3.11から10年…帰宅困難地域の解放までもう少し

東京23区の半分の広さほどある、福島第一原子力発電所事故の影響による帰還困難区域。その中に、全長約2.2kmの見事な桜並木があります。福島県富岡町の夜ノ森地区にある桜並木です。

 

2022年の春にやっと、この全体を見て歩くことができるようになります。

 

現在はまだ、そのうちの約800mしか見ることができません。しかし、その800mを見られるようになったのも、2020年3月10日の避難指示の一部解除からです。

 

筆者がいわき市内で一緒に働いているスタッフも、全体の解放を心待ちにしています。「震災前はよく家族で桜を見に行っていた」「小さい頃から毎年行っていた」と話します。地元、という感覚のようです。

 

スタッフの中には、復興の力になりたいという、とりわけ強い思いを持つ方がいます。その思いの背景には、震災前からのこの地域との繋がりがあるのでした。

震災時、避難区域にあった医療施設の「その後」

筆者が勤務するときわ会グループは、震災時に2つの施設をこの地域で運営していました。「富岡クリニック」と「楢葉ときわ苑」です。

 

富岡クリニックは、富岡町の夜ノ森地区の桜並木から車で5分もかからないところにありました。

 

人工透析を行うクリニックとして2008年1月にオープンしました。3年ほどで震災に遭ったことになります。

 

震災後、クリニックはほとんど手付かずで、2019年に解体がスタートするまで、ずっと被災時の姿のままでした。筆者自身も研修生の案内などで、実際に何度も出入りしましたが、3月11日付の色褪せた新聞があったり、2時46分で止まった時計が床に転がっていたり、震災当時の様子がそのまま、静かな空間に取り残されていました。

 

地震が発生した時間帯には、多くの患者さんが透析を受けていたようで、緊急で透析を離脱した跡が残っていました。透析装置から出た血液が床で広がり、固まって粉状になっているのを初めて見たときには衝撃を受けました。

 

今はもう更地になり、富岡クリニックは、そのままの名前で2017年4月にいわき市内で再開しています。

 

楢葉ときわ苑は、さらにそこから15分ほど南下した楢葉町にあった介護老人保健施設でした。

 

2010年8月に開所して、半年ほどで震災がありました。それでも避難せざるを得なくなり、空になった建物は復興に携わる業者に貸すなどしてきました。今もまだ建物は残っており、コロナワクチンの接種会場や検診会場として利用されています。

 

楢葉ときわ苑としては、「仮設楢葉ときわ苑」として、2013年3月にいわき市内でスタートしています。施設名の「仮設」という部分には、「いつかは絶対に楢葉町に戻る」という思いが含まれています。

 

富岡クリニックの事務長を務めていたスタッフが、途中から楢葉ときわ苑の立ち上げに関り、そのまま仮設楢葉ときわ苑の設置、運営を担いました。

高齢過疎の先進地域に求められる「復興」の形

今、強い思いを持って復興に取り組んでいる事務スタッフは、この方から様々なものを引き継いできています。

 

富岡クリニックの移転、仮設楢葉ときわ苑の設置、その後の富岡町から避難した高齢者のための施設「富岡町高齢者等サポートセンターいずみ」のいわき市内の立ち上げなどを通し、町と深く関わるようになりました。そういった中でこの事務スタッフは、富岡町の「まちづくり」について、行政に対し、医療・福祉側から提言をする機会を与えられるようになりました。時間をかけて、地域への思いや必要と思われる機能の構想を投げかけるうちに、少しずつ行政側の賛同も得られるようになってきたのです。

 

「今まであったものをそのまま戻すのは違う。一旦移り住んだ人を呼び戻すには、新しいものを作らなければならない。高齢過疎の先進地域であるこの土地でモデルを作ることが求められている」と語ります。そうして震災から10年が経ち、実現し始めるものが出てきました。

 

たとえば、2022年3月にオープンする、富岡町共生型サポート拠点施設です。

 

この施設は、夜ノ森地区の桜並木からほど近い場所にオープンします。高齢者が安心して生活できるよう、介護保険サービスを提供できる環境を整備するための施設で、「トータルサポートセンター」と「特別養護老人ホーム」とで構成されます。

 

プロポーザルにより、筆者の勤務するときわ会がこの施設の指定管理者になることが決まり、現在、開所に向けて準備を進めています。提示されている建物に合わせた什器の選定や必要な設備の手配、人の採用、各種行政手続き、内部の体制作りなどを、行政側と細かく調整しながら進めています。

 

この施設の立ち上げに携わっているスタッフは「希望する人が、富岡で最期を過ごせるようにしたい」と語ります。親族が最期の時間を過ごすことになったとき、「土地」を重視したということが印象に強く残っているようです。

 

ただ一方で、現地で生活する方からは、「消極的帰還をしている人もいる」とも聞きます。「帰りたい」という話も多く聞きますが、帰還者の中には、避難した先での生活に馴染めず、「仕方なく帰ってきた」という方もいるのです。そういった方は孤独な生活となってしまうことが多いようです。

 

安心して生活できるようにしていくには何が必要か、様々に強い思いを持ちながら、多くのスタッフが奮闘しています。

 

 

杉山 宗志

ときわ会グループ

 

 

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