今回は、新規事業を拡大・成長させるだけでなく、同時に経営者人材も育成する制度により、厳しい課題を課せられた「ウエディングパーク」の事業運営について見ていきます。※サイバーエージェントのグループ企業で、日本最大級のクチコミ数を誇るウエディング情報サイトを運営する「ウエディングパーク」。キーエンス出身の敏腕営業が飛び込んだネットビジネスの最先端で、時代の寵児・藤田晋氏とかかわりながら育てたサイトは、これまで何度も危機を乗り越えながら、現在の地位を獲得しました。本連載は、書籍『僕が社長であり続けた、ただ一つの理由』から一部を抜粋し、熱血社長による、ウエディングパーク立ち上げの道のりを紹介します。

「期限内に成功しなければ撤退」という厳しいルール

創業者二人と激突しながらも、ビジネスモデルを変えて新たな船出を目指さなければいけなかったのには、実は理由がありました。サイバーエージェントでは、新しい事業について「撤退ルール」があったからです。

 

当時、20近い新規事業群を経営管理するために、ウエディングパークに限らず、期限内にうまくいかなければ事業を撤退する「CAJJプログラム」というルールが定められたのでした。

 

分かりやすくいえば、Jリーグのようにリーグを上がっていくことができる仕組みです。まずはJ3で始まり、スタートから半年で、粗利月500万円。これが達成できると、J2に上がることができます。

 

J2に上がると、1年で粗利月1500万円、そして黒字になること。これをクリアすると、J1に上がることができます。これが、当時の仕組みでした。

 

ウエディング事業をやってみないかと抜擢されたはいいものの、「数字が出なかったら、撤退だから」というわけです。ちょうどこの制度ができたタイミングだったこともあり、僕からすればまさかの展開でしたが、後の祭りでした。

 

しかも、半年で粗利月500万円というのは、それなりに高いハードルです。ウエディングパークは実質的にゼロからのスタートでしたから、これは大変なことになった、と思いました。さらに、それをクリアしても、1年後には粗利月1500万円が待ち構えている。

 

ですから、良いサービスをじっくりつくりたい、などと言っている余裕はありませんでした。期日までに結果が出ないと、そもそも事業を続けられなかったのです。差し迫った期日とともに、結果を出すことが求められていたのです。

いつの間に消えていった、別事業のメンバーも…

親会社があった上での新しい事業なんだから、ゼロから起業するのに比べたら、そんなに厳しいものではないだろう、という想像を持たれる方もいるかもしれませんが、サイバーエージェントは違いました。

 

同じ時期に始まった20ほどの事業も、ゼロからのスタートになりました。ウエディングパークはイレギュラーで買収の形を取っていましたが、事業を一旦止め、売り上げがゼロになりましたから、ゼロスタートは同じです。こうして、みんな一斉に走り始めたのですが、プログラム以外でも甘くはありませんでした。当時のサイバーエージェントは、渋谷のマークシティというインテリジェントビルに入っていましたが、「こんなところで起業しちゃダメだ。勘違いする」ということで、新規事業組はこのビルを出て、古い雑居ビルに移ることになったのです。

 

20ほどあった新しい事業のほとんどが、そこに移りました。渋谷駅からかなり距離があり、しかも歩くとみしみしと音がするような古いビルでした。ここに、新規事業の責任者が全員集められ、事業をスタートさせたのです。もちろん、資金も潤沢に出てくるわけではない。限られた予算の中で期日までに結果を出すしかありませんでした。

 

J3だけが集まる古いビルで結果を出せれば、オフィスもJ2仕様に移ることができます。ちょっとだけトイレがきれいになったり、会議室が増えたり。

 

僕は当事者でしたが、サイバーエージェントという会社の活性化のうまさに感心していました。同じ状況のみんなが集まり、切磋琢磨して、励まし合いつつ競争もする。ちょうど、藤子不二雄や石ノ森章太郎などの漫画家をたくさん輩出したトキワ荘のようなものです。

 

しかし、現実は厳しかった。スタートの時期が少しずれていたので、先にビルに入居していて「日紫喜君、頑張ろうぜ」と言っていた人が、いつの間にかいなくなってしまったりするわけです。そうすると「あ、あそこは撤退になったんだ」と分かります。

 

一方で、新しくJ3ビルに入居してくる人たちもいました。緊張感がある中で、なんとか生き残りをかけて必死に頑張るわけです。実際、サバイバルは半端なものではありませんでした。当時、20くらいあった中で、今でも残っている事業は、ウエディングパークとアメーバブログくらいだと思います。ほとんどが消えていきました。

 

当事者にとっては厳しい仕組みですが(乗り越える大変さは後に語ります)、あって良かったと僕は思っています。これがなければ、創業の本当の苦しみが感じられなかった可能性があるからです。

 

起業がしたい、いずれ社長になりたい、という目標を持っていた僕にとって、これは願ってもない経験でしたが、一方で経営者というのは甘いものではない、やれることをちゃんとやれるようにならないと、という思いを強く持つことになりました。サイバーエージェントとしては、プログラムによって、いわゆる経営者人材をつくるという裏目的があったことは言うまでもありません。CAJJとはまさに、「サイバーエージェントの事業と人材を育成する」という意味です。

 

事業も育てたいけれど、経営人材を育てなければサイバーエージェントは大きくならない、という発想は、今のサイバーエージェントの成長ぶりを見ていると、まさにその通りだったのではないかと思います。CAJJには、大きな意味があったということです。

 

しかし、当事者としての起業は、想像をはるかに超えて大変でした。

 

 

日紫喜 誠吾

株式会社ウエディングパーク 代表取締役社長

 

僕が社長であり続けた、ただ一つの理由 ウエディング業界に革命を起こした信念の物語

僕が社長であり続けた、ただ一つの理由 ウエディング業界に革命を起こした信念の物語

日紫喜 誠吾

幻冬舎メディアコンサルティング

ウエディング業界の常識を変えた革命児の揺るぎない「信念」とは? 誰もが「失敗する」と笑ったビジネスでなぜ成功することができたのか。 20年続くあるベンチャー企業の軌跡。 役員・従業員の大量離職、 事業の方向転換…

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