(※写真はイメージです/PIXTA)

自分はビジネスで成功して大きな財を成したものの、その子どもが自立に失敗するというケースは少なくありません。自立に失敗してしまう原因は一体どこにあるのでしょうか。また、自立に失敗した子どもは、その後どのような人生を歩むことになるのでしょうか。本記事ではAさんの事例とともに、親子のマネーリテラシーの重要性について、長岡FP事務所代表の長岡理知氏が解説します。

転校先に馴染めなかった子どもたち

移住当時17歳だった長男は、編入した県立高校になじめず1ヵ月で中退。居場所を求めて東京に戻ったものの、かつての同級生はみな大学受験で疎遠になってしまいました。

 

中卒である彼が自力で就職できるところは決して多くはありませんでした。当然、実家もありません。

 

心配する父親のAさんが店を手伝うように言ったものの、長男は拒否。時々電話でやり取りをしていましたが、いつの間にか音信不通になってしまいました。母親が長男から聞いていた住所を訪ねてみると、そこは勤めていた工場の独身寮でした。

 

しかし退職していて長男は行方不明。役所に問い合わせてみると住民票は独身寮のままです。転出届を出さずに引っ越したようなのです。警察にも相談しましたが、捜索願は受理されませんでした。

 

「本人が家族と連絡を取りたくないと思っているかもしれず、警察が居場所を知っていても教えることはできない」ということでした。結局、それから50年間、音信不通・行方不明のままです。

 

同じく次男のBさんは、移住と同時に入学した県立高校でイジメに遭い、一年生の秋には中退してしまいました。長男と違い東京に戻ることは希望していなかったものの、自宅での引きこもりが始まります。

 

「せっかくならパン屋を手伝ったらどうか」と父親が誘い、当初はその言葉どおりに店舗で手伝いをはじめたものの、厳しい職人の世界にまったく馴染めません。

 

パン屋は始業が早く、強面の先輩たちから常に怒鳴られるような毎日に嫌気がさし、数ヵ月で仕事に行くのを辞めてしまいました。そこから次男のBさんは仕事を転々とします。

 

水産加工工場、スーパーのアルバイト、運送会社での倉庫作業、学習教材の訪問販売など、さまざまなアルバイトに就きましたが長続きはしませんでした。多くは仕事をボイコットし、母親が勤務先に謝って退職の手続きをするという状態だったのです。

 

それでも1970年代から1980年代までは次男Bさんは若かったことと、日本経済が物価も賃金も上昇していく好景気であったことから、人並みの若者のように働くことができていました。

 

 

次ページ無職で「子供部屋おじさん」と化す次男

※プライバシー保護の観点から、実際の相談者および相談内容を一部変更しています。

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