なぜ日本経済低迷の原因について正しい分析ができないのでしょうか。その理由は、私たち日本人の中に「経済成長は政府の経済政策によって決定される」という無意識的な前提条件が存在しているからだと筆者は訴えます。経済評論家の加谷珪一氏が著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)で解説します。

アベノミクスの本丸、構造改革が消滅した

■アベノミクスから見る経済低迷の真相

 

日本経済が低迷しているのは、経済政策が理由ではないという話は、アベノミクスの顚末を詳しく分析すると、より明らかになってきます。

 

安倍政権が提唱したアベノミクスは、日本経済復活の決定打とされ、多くの国民が劇的な成果を期待しました。しかし、アベノミクスは十分な成果をあげることができず、安倍首相の辞任によって、事実上、頓挫してしまったことは皆さんよくご存じの通りです。

 

アベノミクスの評価は、人によって真っ二つに分かれています。

 

実は、安倍政権は在任期間中、経済政策を大きく変更しており、アベノミクスという政策は終始一貫した内容だったわけではありません。政策の内容が変わっているにもかかわらず、アベノミクスという名称だけが一人歩きし、これが政策の評価を難しくしています。しかし、アベノミクスの推移を時間軸で追っていけば、政策の本質が見えてきます。

 

政権発足当初、安倍氏が全面的に打ち出したのは「3本の矢」というキャッチフレーズでした。1本目は「大胆な金融政策」で、これは日銀による量的緩和策のことを指しています。2本目は「機動的な財政政策」で、大規模な公共事業が想定されていました。そして3本目が「成長戦略」です。

 

現在も継続している量的緩和策は、日銀が積極的に国債を購入することでマネーを大量供給し、市場にインフレ期待(物価が上昇すると皆が考えること)を生じさせる政策です。期待インフレ率が高くなると、理論上、実質金利(名目金利から期待インフレ率を引いたもの)が低下するため、設備投資が拡大すると期待されました。

 

日本経済は長期デフレと低金利が続いており、名目上の金利をこれ以上下げることは困難です。

 

このため、逆に物価を上げて、実質的に金利を下げようというのが量的緩和策の狙いだったわけです。

 

しかしながら、物価が上がる見通しがついただけでは、経済が成長軌道に乗るとは限りません。持続的な経済成長を実現するためには、日本経済の体質を根本的に変える必要があると当時の安倍氏は考えており、そのための方策が「3本目の矢=成長戦略」でした。

 

安倍氏は小泉純一郎元首相に引き上げられた人物であり、小泉氏が掲げる構造改革路線を強く支持していました(後に政治路線をめぐって両氏は対立)。このため、当初のアベノミクスでは、硬直化した日本経済の仕組みを変革することこそが成長のエンジンになるという認識でした。

 

もっとも、一連の改革を実施すると、労働者が転職を余儀なくされたり、各種補助金が打ち切られたりするなど、多くの痛みを伴うことになります。構造改革が一定の成果をあげるまでには相応の時間が必要となるため、その間の緩和措置として掲げられたのが2本目の財政出動です。

 

整理すると、初期のアベノミクスというのは、金融政策でデフレからの脱却を試み、財政出動によって当面の景気を維持しつつ、その間に痛みを伴う構造改革を実施し、経済を成長軌道に乗せるという流れだったことが分かります。

 

つまり、量的緩和策や財政出動はあくまでも一時的な対応策であり、構造改革こそが成長を実現する本丸という位置付けでした(少なくとも当時の安倍氏がそう認識していた可能性は高いと思われます)。

 

アベノミクスという政策パッケージに対する賛否はともかく、対外的な説明のロジックは明快だったといってよいでしょう。

 

■痛みを伴う「構造改革」はすぐ放棄

 

ところが、安倍政権がスタートすると、アベノミクスの内容が徐々に変わり始めました。もっとも大きな変化は、成長戦略の本丸だったはずの構造改革が事実上、消滅したことです。

 

当初、安倍氏は何度も構造改革について言及していたのですが、構造改革というキーワードは、小泉改革による負の遺産というニュアンスが強くなっており、支持率を気にしたのか安倍氏はこの言葉をほとんど口にしなくなりました。その後、成長戦略として打ち出されるのは、各種の補助金や企業支援策など小粒なものばかりとなり、経済の根本を変えるような施策は姿を消してしまったのです。

 

3本の矢は、構造改革という痛みを伴う施策が大前提であり、これが消えてしまうと量的緩和策と財政出動の位置付けが不明瞭にならざるを得ません。

 

現実問題として日本政府は財政難が続いており、財政当局は基本的に大型の財政出動に消極的です。結果としてアベノミクスは量的緩和策だけに頼る一本足打法となってしまいました。明確に時期を区切ることは困難ですが、中後期のアベノミクスというのは量的緩和策そのものだったと考えてよいでしょう。

 

加谷 珪一
経済評論家

 

本連載は加谷珪一氏の著書『縮小ニッポンの再興戦略』(マガジンハウス新書)から一部を抜粋し、再編集したものです。

縮小ニッポンの再興戦略

縮小ニッポンの再興戦略

加谷 珪一

マガジンハウス新書

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