(※写真はイメージです/PIXTA)

東京のゲーム開発会社から長野市の製本・印刷会社に転職を決めたAさん。子どもの誕生を機に妻の実家がある長野市に移住をしようと地方転職を決断。ゲームのプログラマーからまったく畑違いの製本・印刷会社への転職はどのように成功させたのでしょうか。キャリアコンサルタントの江口勝彦氏が解説します。

利用する転職支援サービスを見直すとき

転職を余儀なくされたAさんは、その後も他社から引き抜かれたり、会社が倒産したりで何度かジョブチェンジを繰り返しました。今回、34歳でUターン転職するまでに、5つの会社で働いてきました。

 

ただ、仕事内容はほぼ変わらず、一貫してゲームのプログラムに携わってきたのです。「やりたい仕事だったので面白かったし、手掛けたゲームが世に出たこともあります」とAさんは当時を振り返ります。

 

妻の実家が長野市にあり、以前から家族で長野に移りたいという思いがありましたが、現実的な転機となったのは、2年半前に子どもが生まれたことです。もともとAさんも新潟の田舎育ちで、「子どもにも自然が豊かな環境で育ってほしい」という思いがあったといいます。

 

「東京は治安の面でも不安があったし、保育所に空きがなくて妻の子育ての負担が大きくなっていたことも動機の一つです。何かあったときに実家に近いほうが安心だという気持ちが強くなり、長野で仕事を探すことに決めました」

 

転職活動の第一条件は長野市で働けることでした。ゲームプログラムは好きな仕事でしたが、長野で同じような仕事ができる会社は見つかりませんでした。

 

ただ、Aさんはゲームプログラマーとしての将来性にも不安を感じていました。

 

「最近は据え置きのゲーム機よりもスマートフォン用のゲームが増え、昔ほど魅力を感じなくなっていたこともあり、ゲーム業界から離れることに抵抗はありませんでした。それよりも長野で暮らしたいという気持ちのほうが大きかったのです」

 

そこでAさんは現職に縛られず転職活動をすることにしました。最初は過去の転職の際に利用した首都圏メインの転職支援サービスで探したものの、長野市に絞っていたことや、34歳という年齢、経験に偏りがあったことがネックとなり、なかなか見つかりませんでした。

 

「これは利用する転職支援サービスを見直すべきだ」と思ったときに、私の会社を知り、エントリーしてくれました。

 

私の会社でも当初のヒアリングではAさんにマッチする仕事が紹介できるか、不安半分だったのですが、幸い眠っていた求人ニーズの掘り起こしによって、次の場所を見つけることができました。

 

最初に紹介したのが、現在Aさんが勤めている製本・印刷会社です。Aさんは全然知らない業界で大丈夫だろうかという不安はあったようですが、せっかく勧めていただいたのだからと面接を受けることになったのです。

 

Aさんに今回の転職先の決め手についてうかがうと、次のように話してくれました。

 

「今の会社を紹介される少し前に、妻が注文していた子どものフォトブックが届き、それを手にしたときに不思議な感動を覚えました。デジタルの世界とは違う、紙のアルバムの良さを感じたのです。ちょうどそんなときに今の会社を紹介され、事業内容を見て『ああいった感動を届けている会社なんだ』と惹かれるものがありました」

 

Aさんはもともとゲームと同じくらい本が好きで、製品サンプルを見せてもらいながら印刷技術や製本技術の説明を受けるうちに、強く興味を引かれたといいます。

 

また、面接で社長の仕事に対する内なる闘志のようなものを感じたことも、入社を決める理由になりました。面談後の合否判断の連絡が早く、「必要とされている」と感じたことも大きかったそうです。

 

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本連載は江口勝彦氏の著書『幸せのUターン転職』(幻冬舎メディアコンサルティング)から一部を抜粋し、再編集したものです。

幸せのUターン転職

幸せのUターン転職

江口 勝彦

幻冬舎メディアコンサルティング

30代になると結婚や子どもの誕生、マイホームの購入、親の介護などさまざまなライフイベントを迎えます。 そのタイミングで都会からのUターン転職を考える人もいますが、年収やキャリア形成の不安から「自分が働ける場所はな…

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