新型コロナウイルスの大流行は、人々の生活を一変させました。未だ収束の目途は立ちませんが、1つ言えるのは「コロナ流行前の生活には戻れない」ということ。たとえば、ほんの1年前までは当然だった「毎日の出社」は、もはや面倒に感じる人も少なくないでしょう。アフターコロナを迎えたとき、私たちはどのような世界を生きることになるのでしょうか。それを考える大前提として、「コロナ前の社会」について改めて見つめ直してみましょう。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

コロナ前、私たちはどんな世界で生きてきたのか?

読者のみなさんもご存じの通り、現在コロナによるパンデミックは猖獗(しょうけつ)をきわめており、その収束がいつごろになるのか、そもそも果たして根治的な収束が起こり得るのかについて、さまざまな議論が交わされています。

 

しかし、いずれの議論においても前提になっているのが「世界はもう元の通りにはならない」ということです。その変化が良いものであれ、悪いものであれ、私たちは不可逆な変化の最中にあります。

 

この変化をどのようにして乗り切っていくのか、私たちはこれから長い時間をかけて議論しなければならないわけですが、その議論の大前提として、あらためて確認しておかなければならない重大な論点があります。それは、私たちは、どこにいるのか? 私たちの社会はどのような文脈の最中にあるのか?ということです。

 

この論点に対する考察をないがしろにしたまま、いたずらに短期的な対応策を積み重ねても、その結果として回復されるのは「過去の劣化コピー」でしかあり得ません。現在、さまざまな人々が「どのようにして日常性を回復するか」という論点で議論を重ねていますが、そもそも私たちは「過去の完全な回復」などを望んでいるのでしょうか?

 

(写真はイメージです/PIXTA)
(写真はイメージです/PIXTA)

もはや「コロナ発生前」に戻すことは意味がない

たとえば世界中で、否応なく在宅勤務を強いられた人々の多くが、ふたたび「毎日オフィスに向かう」という、誰もが「当たり前だ」と考え、疑うことなく実行していたライフスタイルを回復させることに、非常にネガティブな反応を示しています。これは、私たちが「当たり前だ」と考え、疑うことなく実行していた習慣や行動には、実は何の必然性も合理性もなかったのだ、ということを示すわかりやすい例の一つといえます。

 

もし、これまでの私たちの常識や習慣に何の必然性も合理性もなかったのだとすれば、そのような常識や習慣が充満していた日常を回復することには何の価値もありません。そして、すでに多くの人は、この恐ろしい事実に気づいてしまっています。このような状態に至った世界を、単に「元に戻す」ことはもうできません。

 

私たちがいま真に考えなければならないのは「日常性の回復」などではありません。そのような営みの先にあるのは、単に「ダメだった過去の、もっとダメな再現」でしかあり得ないでしょう。コロナ以前の世界が非の打ち所のない素晴らしいものだったと考える人は世界に一人もいないはずです。

 

であれば、私たちがいま考えなければならないのは、この事態を一つの「きっかけ」として捉えたとき、コロナ後の世界を、どのようにこれまでの世界とは異なるものとして構想しうるのか、という問題のはずです。

 

この問いを考察するにあたって、最初にどうしても押さえておかなければならないポイントがあります。それは「そもそも、コロナ直前の世界は、どのような文脈の最中にあったのか」という問いです。

 

ここでは、この問いに対する答えを、主に各種の経済・社会統計のデータを用いながら考察していきたいと思います。

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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