NHK連続小説『おちょやん』で杉咲花さん演じる主人公、浪花千栄子はどんな人物だったのか。女優復帰を果たした千栄子は映画や舞台への出演依頼も相次ぐようになる。小津安二郎監督の『彼岸花』、黒澤明監督の『蜘蛛の巣城』、内田吐夢監督の『宮本武蔵』等々、日本を代表する巨匠たちの作品に出演者として名を連ね、映画に欠かせない存在となっていく。この連載を読めば朝ドラ『おちょやん』が10倍楽しくなること間違いなし。本連載は青山誠著『浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優』(角川文庫)から一部抜粋し、再編集したものです。

毎月6万円の貯金で暮れには40万円になった

考えてみれば、道頓堀の仕出し料理屋へ奉公に出されて以来、他人の家で肩身の狭い思いをしながら暮らしてきた。女優となり結婚してからも、疎開先の納屋や松竹寮での間借り生活。大勢の芸人たちと同居して、仕事とプライベートの区別がつかない生活を送ってきた。

 

落ち着かない暮らしには慣れているはずだった。が、この歳になるとどうも、それが辛く感じる。

 

また、自分がここまで生きた証を残したい。そんな気持ちにもなる年齢だった。

 

「一国一城の主」と持家を購入することを、人生の目標にする者は多い。

 

人が生きてきた証として残すものは何だろうか? まず誰もが思い描くのは、やはり「家」なのかもしれない。

 

ラジオ・ドラマが好評で映画など他の仕事も入るようになると、千栄子はその思いを実現するために、毎月6万円の貯金をするようになった。

 

昭和27年(1952)の暮れ頃には40万円が貯たまっていたという。当時の大卒初任給は6000円前後、それが令和元年(2019)には、約35倍の21万200円にま

で上昇している。

 

初任給の上昇率から考えると、現代であれば毎月210万円を貯金して、1400万円を貯めたといった感じだろうか。1年もかからずにこれだけの大金を貯めることができた。それだけ浪花千栄子という女優の価値が、認められていたということだろう。

 

資金が貯まるとさっそく土地を探した。最初に見たのが、嵐山の天龍寺に隣接した180坪の畑地。知人に教えられて見学し、ひと目で気に入っていたのだが、この時は、持主に売る気がなく断られている。その後、多くの土地を見てまわった。しかし、

 

「あの土地以外には考えられへん」

 

嵐山は戦前の大スターだった大河内傳次郎など、別荘や自宅を建てた俳優が好んで住んだ場所である。各映画会社の撮影所が集まる太秦は目と鼻の先にあり、映画の仕事を中心に考えるなら最良の立地だろう。

 

千栄子にとって嵐山は地の利だけではなく、大きな意味をもつ土地だった。

 

天外と別れて京都に来てから間もない頃にも、彼女は嵐山を訪れている。この時は死ぬつもりで来たのだという。

 

渡月橋を渡り、大堰川に沿った小路を上流へとさかのぼって行くと、間もなく川の水深が最も深くなる千鳥ヶ淵に着く。鬱蒼と茂る樹木に囲まれ、深緑に染まる水色には不気味な印象もある。源平の昔には、失恋した建礼門院の侍女がここで身を投げた。以来、昭和初期頃まで自殺の名所として知られる場所だった。

 

当時はまだそのイメージが強かった。おそらく、千栄子もそれに引き寄せられて行ってしまったのだろう。しかし、寸前のところで思いとどまり、いまもこうして生きている……。女優として復活を果たすことができたのも、あの時、あそこで思いとどまったから。

 

嵐山は自分を生き返らせ、人生の再スタートを切らせてくれた場所だった。それだけに、あの土地を見つけたのは何かの縁。そう思うと諦められない。

 

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浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優

浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優

青山 誠

角川文庫

幼いうちから奉公に出され、辛酸をなめながらも、けして絶望することなく忍耐の生活をおくった少女“南口キクノ”。やがて彼女は銀幕のヒロインとなり、演劇界でも舞台のスポットライトを一身に浴びる存在となる。松竹新喜劇の…

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