6月25日、私は坪倉正治医師に随行して、福島県の平田村を初めて訪問した。この村には、医療法人誠励会が運営するひらた中央病院があり、県の委託を受け7月6日から発熱外来が設置されている。診療対象は、石川、玉川、平田、浅川、古殿の五町村の住民だ。私は相馬市出身だ。ところが、今まで平田村には行ったどころか、名前を聞いた覚えさえなかった……。医療ガバナンス研究所の医療通訳士・趙天辰氏が語る「福島の新型コロナ対策」とは? ※「医師×お金」の総特集。GGO For Doctorはコチラ

「福島モデル」は、いかに誕生したのか?

はじめてみる平田村の病院の雰囲気に感動した。そこで働く人々は全員地域に根差しており、地域の人々を第一に考えて動いていたからだ。

 

例えば、震災の時は誰よりも先にホールボディカウンターを、今回のコロナ対策においても独自でPCR検査機器や抗体検査キットを導入した。このようにして、地元の病院が地域を支えているのかと納得した。

 

この構造こそが今回福島県が新型コロナウイルス対策に打ち出した「福島モデル」の一例である。

福島県立医科大学を頂点としたピラミッド型の医療体制

福島県は、秋以降の第二波に備え、発熱外来を県内各地域に設置した。発熱外来でPCR検査が陽性となった患者は、重症、中等症、軽症・無症状、回復・無症状と4段階に分けられ、福島県立医科大学の調整のもと、症状ごとに指定された病院に運ぶこととなる。福島県立医科大学を頂点としたピラミッド型の医療管理体制となる。

 

福島県立医科大学を頂点とした、ピラミッド型の医療管理体制
福島県立医科大学を頂点とした、ピラミッド型の医療管理体制

 

患者の移送体制も強化された。新型コロナ感染症患者(疑似症患者を含む)の移送は、保健所による移送を原則とした。

 

さらに、今後の感染拡大時を想定し、県内の12消防機関とも移送に協力するような包括的な協定を締結した。これにより、全県統一した広域的・安定的な移送体制を確保されることになる。

 

また、重症患者の移送時には高度医療機関のドクターカーで対応することとなった。さらに、「キビタン健康ネット」という福島独自の医療情報ネットワークを作り、県立医大と県内主要医療機関でMRI・CT画像を含めた医療情報を共有し、症状に応じて患者を一元管理する。このネットワークによって、必要に応じたリアルタイムでの指導や、転院時の調整も円滑に行うことが可能となる。

地震、津波、原発事故…「福島モデル」の強い連携力

筆者は、福島県相馬市出身である。東日本大震災のころは、まだ高校一年生であった。福島県は地震、津波、原発事故と、未曾有の出来事を経験した。

 

この新型コロナウイルスに対抗する「福島モデル」は、地域間の強い連携が必要不可欠であるため、普通は機能することが難しいと感じるだろう。福島で機能できるのは、震災の経験から生まれた信頼関係によるものだと強く感じる。

 

4月8日に発熱外来を県内で最も早く開設したのは相馬市である。相馬市は、立谷秀清市長が2002年から相馬市市長として就任している。現在、5期目となる。東日本大震災の時、立谷市長の強いリーダーシップによって、迅速な震災対応の指揮を執ったことは全国でも有名である。

 

「死亡者のための棺を確保せよ」、「仮設住宅の建設用地の確保並びに双葉郡から避難してくる者を受け入れる住居を確保せよ」など、先を見据えた指示を立てていたことが、仮設・復興住宅を速やかに建設できたことにつながっているといわれている。

 

地元では「変なおっちゃん」と認識されているが、立谷市長のリーダーシップは誰もが認めている。私も一相馬市民として、立谷市長が当時から市長であったことは不幸中の幸いだと今でも思っている。今回の相馬市の発熱外来も、そんな立谷市長を中心に出来上がったものである。発熱患者を一カ所で集中診療することにより、複数の医療機関に感染が拡大し、医療崩壊する事態を防ぐようにするためであると市長は言う。

 

震災直後の2011年4月、立谷市長のもとに坪倉正治医師がやってきた。福島県浜通りで被災地支援を行うためだ。そこから9年以上もの間、坪倉先生は福島、相馬、平田村とたくさんの地域で活動をし、県民を支援している。

 

具体的には、放射線の説明会や、診査結果に基づく住民一人一人に対しての個別説明などを行った。坪倉先生が相馬に来て間もない2011年5月ごろ、先生の説明を聞いた住民の中には、感謝する人々がいる一方、東京から来た医者だと、信用しない人も多くいた。

 

しかし、活動を続けることによって、住民のデータが出始め、データに基づいた説明をすることによりわかってくれる人が増えていった。坪倉先生は、「長く支援を続けることによって、地域の生活に根差した具体的な説明がしやすくなった。住民の皆さんは放射線の一般論なんて聞きたくなく、具体的な説明をすることによってはじめて信頼関係が結ばれる」という。このようにして、長い年月をかけて地域の住民と信頼関係を築いていったのだ。

 

この長期にわたる福島での活動を通し、今年6月から福島県立医科大学の教授にも就任され、さらに安藤忠雄文化財団も受賞した。

 

筆者は現在、そんな坪倉先生の元で働いている。初めて先生のスケジュールに同行したときは、相馬中央病院、南相馬市立総合病院、ひらた中央病院と、こんなにもいろんな地域を飛び回って診療しているのかと、多忙なスケジュールに非常に衝撃を受けた。しかし、どこにおいても地元の人々に信頼されているのを目の当たりにし、坪倉先生の移動によって地域間の連携が生まれたのを理解するのに時間は要さなかった。

 

ひらた中央病院の職員は、「今回の発熱外来の新設に伴い、相馬市へ赴き、問診票をはじめ、たくさんのノウハウを学んできた」という。相馬市が平田村に教えること、これがまさに地域が連携している証拠で、坪倉先生が繋いできたものだ。

 

福島県は実に多様な地域が存在している。この多様性がつながるようになったのが震災を経たこの9年間であり、そこで働く人々によるものだ。地域に根差している場所がそれぞれ連携していることが、福島の財産であり、その象徴が今回の「福島モデル」であると私は思う。

 

 

趙 天辰

医療ガバナンス研究所 医療通訳士

 

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