もしも高校四年生があったとしたら、そのぶん英語は上達するのか? 個人レッスン、オンライン英会話、どれをやっても英会話ができなかった英語教師・桜木 真穂が、風変わりな英会話教室で、新しい英語学習法を学びます。本連載は、金沢 優氏の小説『もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか』から一部を抜粋し、これからの英会話学習法をご紹介します。

 

 (物語の主な登場人物は、ここをクリック) 

 

「sister」の訳は「姉」ではダメなのか?

それから約一週間、私は急遽中間テストの雑務に追われることになった。というのも、中学一年生の試験問題を作成するはずだった先生が体調不良続きだったため、そのお鉢が急に回ってきたのである。そしてそれは、阿蘇先生が「それでしたら、桜木先生にお願いしましょう。部活動も暇に違いないですから。快く引き受けてくれますね?」と、職員会議で発言したせいであった。「快く」が地味に響いた。

 

ただ、内容はあくまで中学一年生の一学期中間テストだ。問題はアルファベットや挨拶などの簡単なものなので、作成にはそれほど時間はかからなかった。しかし、作り終えた時、私はどっと疲れを感じた。学院長さんの言葉が作成中に何度も頭をよぎったからである。私は今、時間と労力をかけてまで、無駄なことをしているのだろうか。それも、国家レベルで。

 

「どうしたの、真穂? 顔が死んでるよ」

 

私の視界に、心配そうな表情の千賀子が入ってきた。そうか、そんなに私は疲れた顔をしていたのか。その時、不意に後ろから「桜木先生」と声をかけられた。振り向くと、阿蘇先生が立っていた。「三組の採点が終わりましたので、返却をよろしくお願いします」阿蘇先生は生徒名簿と一緒に、採点済みの答案用紙の束を、私の机の上にドカッと置いた。ちなみに私の学校では、試験問題の作成者が全クラス分をまとめて採点するルールとなっていた。各々のクラス担任に採点を任せてしまうと、どうしても裁量にばらつきが出るということで、数年前に阿蘇先生がこのルールを定めたらしい。

 

「あ、採点、ありがとうございます。どうでしたか、三組は?」

 

「逆にどうだと思うんですか、桜木先生は?」

 

私は「うっ・・・」と言葉に詰まった。何て嫌な切り返し方をするんだろう。

 

「どういう教え方をしたら、こうなってしまうんですか?」

 

阿蘇先生はそう言って、自分の席へと戻っていった。

 

「何なの、アイツ! マジでムカつくんだけど!」

 

普段であれば、その大きめな千賀子の声にハラハラするところだったが、私は生徒名簿にメモ書きされた、クラス平均点に目が点になっていた。四八・九点って。嘘でしょ。クラス平均が五〇点を切ったことなんて、いまだかつて経験がない。しかも比較的簡単なはずの、三年生一回目の定期テストだ。内容もオーソドックスで、それほど難しくなかったはずだ。私はクラクラと眩暈(めま)いがしてきた。

 

答案返しの時間は凄惨を極めた。ほとんどの生徒が用紙を受け取った途端にハッと息を呑み、それ以降、無言になった。泣いている女子も何人かいたぐらいだ。みんな、事の重大さに気付いているのだろう。

 

高校入試は一発勝負の筆記試験と三学年分の内申点の合計で決まる。そして内申点は定期テストの点数が大きくウエイトを占める。そのため、生徒たちは定期テストのために勉強していると言っても過言ではない。ちなみにある塾では、学校ごとに定期テストの過去問題が何年間分もストックされており、各先生の出題傾向まで把握しているらしい。だとすると、過去問題の使い回しは危険である。私だって分析されているのかもしれない。

 

そしてクラスの最高点は、やはり月島さんだった。九八点で、減点が一問あったらしい。そして最低点は、阿部君と小山君の一三点だった。ガックリと肩を落としている阿部君とは対照的に、「俺のラッキーナンバー、キタコレ」と踊っていた小山君を見て、私は心が暗くなった。叱っても意味がなさそうだった。

 

そして先程の阿蘇先生の言葉が、やはり心に重く響いていた。私の教え方が悪かったのか。もっと厳しくして、宿題も多めに出すべきだったのか。そこに、学院長さんの言葉もオーバーラップしてきて、私は今にも教室から飛び出したい気持ちで一杯になった。

 

「あの・・・先生。これって・・・やっぱり減点ですか?」

 

その声で私はハッと我に返った。振り向くと、月島さんが答案用紙を手に、立っていた。そういえば、私は月島さんの減点部分をチェックし忘れていた。阿蘇先生はどこを減点したのだろう。

 

それは和訳問題の一つだった。『My sister read me a book.』という英文を、月島さんは『私の姉は、私に本を読んでくれた』と書いてあった。そして、『姉』の部分に『マイナス2』の赤字が入っていた。

 

「『姉』だけじゃダメなんですか?」私は阿蘇先生が作成した模範解答を念のため、確認した。すると、やはりそこには『私の姉(妹)は、私に本を読んでくれた』と書かれてあった。

 

「どうして『妹』を抜いちゃったの?」

 

「私、お姉ちゃんがいて、幼い頃、いつも寝る前に本を読んでくれていたから・・・もうそれしか頭になくて・・・」

 

なるほど、そういうことか。それならば、納得できる。恐らく私が採点者だったら、丸にしたと思う。気にするほどのことでもないからだ。これを正解にする先生だっている。私は少し悩んでから、阿蘇先生にかけ合ってみると約束した。

 

「え! 本当ですか? ありがとうございます!」

 

月島さんはウキウキしながら、自分の席に戻った。やはり、一〇〇点と九八点では雲泥の差がある。しかし、私はこう思う。彼女にとって、一〇〇点が取れなかったことではなく、姉との大切な思い出が減点に繋がってしまったことだけはなんとかして避けたかったのではないだろうか。その理由の方が、月島さんにはしっくりくる。

 

私は、阿蘇先生が簡単に折れてくれればいいな、と願った。

「和訳対象の英語」と「使う英語」の違いとは?

「ダメに決まっているでしょうが」

 

その日の放課後、私は月島さんの答案用紙を持って阿蘇先生の元に相談に行ったが、反応はやはり、予想していた通りだった。

 

「『sister』の日本語訳は『姉妹』なんです。『姉』も『妹』も含んでいるんです」

 

「そ、それは分かっています」

 

「分かっているのに、『妹を抜いたら、ダメなんですか』とは、おっしゃっていることが矛盾していませんか? ねえ」

 

「それは・・・その・・・月島さんには、お姉さんがいて、昔、よく本を読んでもらったらしくて」

 

阿蘇先生は、「フン」と鼻で笑ってから、机の中から今回のテストの問題用紙を取り出し、月島さんが間違えた箇所を乱暴に何度も指さした。

 

「ほら、問題のここ。読んで頂けませんか? この英文」

 

「え? はい。えっと・・・『マイシスターレッドミーアブック』」

 

「もっと大きな声で。聞こえません」

 

聞こえているくせに! 私は感情を抑えつつ、大きな声でもう一度読み上げた。これじゃ私、呼び出しを受けた生徒みたいだ。そして周りの教師たちは自分の仕事をしながらも、じっと私たちの会話に耳をそばだてているのが分かった。まるで私、見世物にされているみたい。何て屈辱的なんだろう。

 

「では、ここに書いてありますか?『アオイツキシマーズシスターレッドミーアブック』と。私には全く見えませんけど。失礼ですが、桜木先生は視力はどれくらいなんですか?」

 

ひどい、この人。何でこんな言い方をするの?

 

「そもそもそこは、桜木先生の指導が徹底されていなかっただけですよね? 自分の指導力不足のせいだと思わないんですか?」

 

それから私は一方的に阿蘇先生から厳しく咎められ、十五分後にようやく解放された。最終的に「教師失格」とまで言われた私は、思わず泣きそうになったほどだった。どう反論しても、阿蘇先生には敵わない。雁字搦(がんじがら)めの縦社会では、私は豆粒みたいに無力だ。

 

「大丈夫? 真穂。私、何度も助けに入ろうかと思ったけど」

 

席に戻ると、千賀子が興奮した表情で私に声をかけてきた。

 

「ううん、大丈夫。これは私の問題だから。ありがとう」

 

私は無理に、ぎこちない笑顔を作った。本心だろうが、千賀子一人が味方に入ってくれたところで状況は何も変わらない。私は「ふー」と大きなため息を吐き、月島さんの答案用紙に視線を落とした。結局私は月島さんに何もしてあげられなかった。落胆する彼女の姿が容易に想像できる。

 

「イメージしてもうたんですなぁ」

 

私は「え?」と、前方を向いた。ラックの向こう側から、山形先生が私の方を見ていた。

 

「ええ子なんですわ、月島のお姉さん。三年前に私が担任をしていました。まあ、問題に『マイシスター』なんて出てきたら、誰でもあのお姉さんのことをイメージしますわ。それくらい目立つ子でしたし。生徒会長もやって、スポーツも勉強も万能で、性格もよくて」

 

二年前に異動してきた私は、月島さんのお姉さんを知らない。ただ、保護者面談の時、母親からお姉さんのことを聞いた。今は都内でも有数の進学校に進んでいるらしい。月島さんのお姉さんのことだから、さぞ人間のできた、優しい子なんだろう。

 

気を取り直して仕事に戻ろうかと思った、その時だった。山形先生の「イメージしてもうたんですなぁ」という言葉が、ふっと私の頭をよぎった。『イメージ』。月島さんは『my sister』という単語から、自分の姉をイメージした。以前、学院長さんが言っていたのは、もしかしてこのことなのだろうか。私はソワソワと帰り支度を始めた。

 

「で、どう思われますか?」

 

「何がだ?」

 

「だから、この答え。学院長さんなら、丸にされますか? それとも減点されますか?」

 

「どうでもいい」

 

「ど、どうでもいいって、どういうことですか?」

 

「どうでもいいということは、どうでもいいということだ。猫に鎖骨がないということくらい、どうでもいい」

 

私はその日、『吉原龍子英会話教室』を再び訪れた。幸い生徒さんは誰もいなかったので、じっくり相談ができるかと思ったのだが、受付席に座る学院長さんの態度は相変わらずで、私の方を向いてさえもくれなかった。

 

「ちょっと、学院長。ちゃんと相談に乗ってあげて下さいよ。こうやって、わざわざ足を運んで頂いたんですから」

 

「こやつはここの生徒でもないし、極悪人だ。尻尾が生えておる。お前には見えないのか?」

 

「仮にそうだとしても、困っている方を放っておくんですか? 路上で血を吐いて、倒れている人がいても、どうでもいいと学院長はおっしゃるんですか?」

 

「こやつは血を吐いてもいないし、倒れてもいない」

 

「学院長には、そう見えないんですか?」

 

「・・・フン」

 

学院長さんはやれやれといった表情で、真っ直ぐと私の方を向いた。今日は有紀君がいる日で本当によかった。この人を扱えるのは、有紀君以外、世界には誰もいないのではないだろうか。

 

「英語には『姉』や『妹』に当たる、特別な単語がない。『姉』は『big sister』とか『elder sister』、『妹』だったら『little sister』とか『younger sister』と言う。それは何故だ? 何故そんな長ったらしい表現を使わなくてはいかんのだ?」

 

思わず私は言葉に詰まった。考えたこともなかった。

 

「いいか? 英語圏の人にとってはな、どうでもいいんだ。姉だろうが、妹だろうが。聞きたいときだけ聞くんだ。そんな文化なんだ。でも日本人は違う。誰かから『私には姉妹がいます』なんて自己紹介をされてみろ。モヤモヤして質問したくなるだろう?『上ですか、下ですか?』と。フン、視力検査ではあるまいし。だから、『姉』や『妹』という言葉が別個として、ちゃんと存在しているんだ。文化の違いだ、そこは」

 

だから何だと言うのだろう。これは私が欲しい回答ではない。

 

「今の問題は『My sister read me a book.』だったな。『sister』の日本語訳が『姉』しかなかった? だから何だ? どうでもいいだろう。そもそも『sister』自体が『どうでもいい』と認めているんだからな」

 

「じゃあ、学院長さんは丸にするってことですか?」

 

「違う、そうではない。『どうでもいい』と言っているんだ。お前、猫に鎖骨があるかどうか、気になるか? 夜眠れなくなるか? どうでもいいだろう? それと一緒だ」

 

全く腑に落ちない。お互いに平行線を辿っている気がする。そんな私を助けるように、今度は有紀君のターンが始まった。

 

「そもそも『和訳対象の英語』と『使う英語』は違うんです。まず桜木さんは、そのことを認める必要があります。和訳する、つまり英語を日本語訳にしてしまった途端、それは日本の文化に無理やり変換をしてしまっているんです。そもそも、『sister』とはどっちでもいいんです。『姉』だろうが『妹』だろうが。それがネイティブの発想なんです。学ぶのはそこなんです。『英語』なんですから。ただ、『日本語』であるならば、『姉』か『妹』を明示しなきゃいけないんです。生まれ順を気にしますからね。それが日本人の発想です」

 

何だか私、文化の間に挟まったみたいな気分。

 

「だから問題が『和訳』である以上、『姉』や『妹』にこだわるのは、仕方のないことだと思いますよ。『日本語』なんですから。『妹』を抜いた以上、それを丸にするか減点するかは、採点側の裁量でしょう。ただ、ネイティブからすると、『何でそんなことにこだわるの?』と思うでしょうね。それよりも、『sister』と聞いて、その人の顔によく似た、年上か年下の女の人をイメージすることがはるかに大事だと思いますよ。だってそれが『英語』なんですから」

 

学院長さんが、「有紀の言う通りだ」と言った。

 

「ちなみに僕だったら、絶対に丸にしますね。だって、彼女は『my sister』と聞いて、自分のお姉さんをイメージされたんですよね? 正しい発想です。そして、幼い頃、よく本を読んでくれた。きっと寝る前だったんでしょう。優しいお姉さんですね」

 

私は「え?」とキョトンとなった。

 

「私もそんなイメージだ。夜の寝室の場面だな、この文は。その子にとってはな」

 

私は一体、二人が何を話しているのかピンとこなかった。

 

「桜木さん。聞いて驚くかもしれませんが、僕たちの英語教育って、それが生まれてから中身が一つも変わっていないんですよ」

 

「え? 生まれてからって?」

 

「日本が開国してからです。つまり、明治時代の幕開けから、日本の英語教育はずーっと止まったままなんですよ。だから、僕たちは国家レベルで英語を話せないんです」

 

有紀君の重い口調に、私は背筋がゾクリとした。

 

(次回に続く)

 

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか

金沢 優

幻冬舎

英会話スクール、オンライン英会話、ハウツー本・・・。すべてに挫折してきて、教育指導要領改定に戦々恐々とする英語教師・桜木真穂。ネイティブスピーカーの同僚を羨み自分に自信を失う中、偶然であった英会話教室で「今まで…

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