「忙しい都会暮らしを離れて、田舎に行って農業を始める」といったようなライフスタイルが話題になっています。しかし憧れはするものの、田舎、そして農業……かけ離れたスタイルをイメージすらできない、という人も多いでしょう。今回、実際に田舎に移住し、「半農半医」のライフスタイルを送る医師の菅原卓氏に話を聞きました。

テレビを観て「医者を辞める宣言」をしたものの…

――現在、岩手県遠野市で医師を続けながら農業に携わる菅原卓さん。半農半医の生活をスタートさせて、10年以上にもなるといいます。そもそも菅原さん、なぜ医師でありながら農業に携わるようになったのでしょうか。

 

菅原氏「医者の傍ら自給自足の農園を営むイメージは、大学病院にいた30代半ばから膨らみ始めていました。きっかけは、当直のアルバイト中に観たテレビ番組。オーストラリア発祥のパーマカルチャーという循環式農業を、岩手で実践している方が紹介されていたんです。その創意工夫に満ちたライフスタイル、ブレのない言葉にすっかり惹き込まれ、家に帰るなり『医者を辞めて農家になりたい!』と妻に言い放ったんです。

 

妻は熱意を理解してくれましたが、『まずは大学で医学博士の研究をやり遂げ、専門医の資格をとるべきだ』と冷静に語りました。もちろん妻の助言に素直に従いましたが、灯った火が消えることはありませんでした。医局に所属する医者は、教授を頂点とする組織のなかで生きています。好きな所に行って好きなことをするには、医局を辞めなければなりません。

 

当時の教授に憧れて出身大学とは別の医局に飛び込んだ手前、できれば円満に去りたいという気持ちがありました。教授に勇気を出して決意を伝え、それから2年間、医局の関連病院で勤めることを約束し、許しをいただきました。実際には迷惑をかけたり、学ばせてもらったりすることのほうが多かったと思います」

出産間近の妻と2人の子どもを連れて、岩手県へ移住

――テレビで紹介されていた農家の方から農業を学ぶために、移住先は岩手県と決めていたという菅原さん。岩手県には全国でも珍しく多くの県立病院があり、相互に連携。慢性的な医師不足であり、県の医療局は医師移住支援にも積極的という事情がありました。

 

ただ現実は、菅原さんが想定したものとは少々異なるものだったようです。

 

菅原氏「当初は、非常勤で週3日ほど働き、残りを田畑で作業する生活を想定していました。しかし県の医療局から提案されたのは、遠野市の病院で常勤し、入院患者の対応や手術も行うというもの。

 

当時暮らしていた北海道・函館まで、遠野の院長先生と市の幹部さんが訪ねて来られ、熱心に話を聞いてくれました。田畑や農作業については市のほうでしっかりバックアップしてくれるといいます。医師の仕事で忙しくて、農業どころではなくなるのではと思いましたが、妻と相談してお受けすることにしたんです。

 

こうして2009年4月、身重の妻とまだ幼児だった2人の子どもを連れて、遠野市に移住しました。まずは病院職員用の集合住宅に入り、じっくりと土地を探す。仮住まいではありましたが、無理を言って裏の空き地にさっそく畑を作ってもらいました。

 

病院の仕事は多忙を極めましたが、近隣の先生方に助けていただいて。畑も近く、朝夕休日に手をかけることができました。3人目の子どもが生まれ、さらに慌ただしくなりましたが、楽しい日々が続きました」

 

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本記事は、「医療と生きる人々が、生の情報で繋がる」をコンセプトにシャープファイナンス株式会社が運営する医療プラットフォーム『Medical LIVES』のコラムより、一部編集のうえ転載したものです。