(※画像はイメージです/PIXTA)

年々増える相続トラブル。被相続人が医師の場合は、通常の相続以上に複雑で、トラブルが起きやすいと、弁護士法人山村法律事務所代表弁護士の山村暢彦氏はいいます。では、具体的にどのような生前対策が必要なのでしょうか。具体例を交えて解説していきます。

クリニックの相続は、ふつうの相続とはまったく異なる

近年、相続の常識は、「家は長男が継ぐべきだ」といった前時代的な価値観から、「相続人が平等に相続すべきだ」、という現代的な価値観へと転換してきているように思います。この転換期にあって、親世代の価値観と子世代の価値観がぶつかり、相続紛争は非常に増えている印象を受けます。

 

もっとも、クリニックの相続となると、単なる相続とはまったく異質の難しさがあります。特に医療法人化したクリニックの相続は、法律的には「事業承継」というべき異質なものです。つまり通常の相続とクリニックの相続のいちばん大きな違いは、「クリニック」の相続はすなわち、「医療法人」という事業の承継だということです。

 

事業承継のなかでも、医療法人の承継は以下のような点から特殊であるといえます。

 

①相続人が医師免許をもっていないと、原則として理事長に就任できない
②医療機器等の動産類が非常に高額である
③法人持分(株式会社なら株式)の算定が困難
④従業員等の承継も必要になる

 

一番やっかいなのは、相続対策を取っていなかったために相続人間に紛争が生じてしまい、会社の事業がストップしてしまうことです。

 

一般的な事業承継の場合もそうですが、相続人間に争いが生じるなどして代表権の所在が不明確になってしまうと、対外的な事業を継続することが困難になり、会社の経営が困難となる事態に陥りかねません。

 

特に、持分あり法人の場合には、クリニックの相続を検討する際はあらかじめ遺言書を作成し、持分の所在を現実的な経営能力のある相続人に託すなど、権利を一本化しておく対策が必須ではないかと思います。

経営権の承継だけでは終わらない

さて、では生前対策として、「遺言書で経営権の承継を定めておけば争いは防げるか」というとそうではありません。

 

たとえば、長男にクリニックの経営権を相続したい場合、その兄妹には「遺留分」という金銭請求権が生じます。仮に、経営がストップすることを危惧して、長男にクリニックを相続させる旨の遺言書を作成していたとしても、それだけでは不十分なのです。実際に起きた事例を見てみましょう。

 

ある開業医のAさん(70歳代半ば)のご家庭。長男は医師免許を有し大学病院などで勤務しており、その妹にあたる長女は結婚しすでに嫁いでいます。職業の観点からも、A家のなかでは「長男がゆくゆくはクリニックを相続するだろう」という暗黙の了解がありました。長女も嫁いでいったことから、Aさんは「このクリニックは、長男1人にすべて相続させる」という旨の遺言書を作成していました。

 

もっとも、嫁いだ当時は長女の勤務先も経済的に安定していたのですが、不況のあおりで家計が圧迫されクリニックの相続が発生した際には、かなり困窮した状態にありました。

 

遺言書を作成していたことから、クリニックを長男が相続するところまではよかったのですが、Aさんが亡くなり家族が実家に集まった際、長女から言われた次のひと言に長男は青ざめました。

 

「お兄ちゃん、遺留分の1億円は現金でちょうだいね」。

 

※画像はイメージです/PIXTA
※画像はイメージです/PIXTA

遺留分支払いのため「先祖代々の土地」を売却

今回の相続では、①医療法人化してあったため、医療機器等の動産類や、その借入金、経営権などを含めて約2億円、②クリニックの敷地や自宅やクリニックの駐車場などの不動産があわせて約1億5,000万円、③預貯金等5,000万円で、少なく見積もっても合計4億円程度の相続財産になりました。そのため、「現金1億円の遺留分」というのも、子ども2人の場合遺留分は4分の1ですから、まったくおかしな請求額ではありません。

 

しかし、不動産やクリニックの持分が相続財産の大半を占めているため、金融機関から融資や土地の売却といった方法で、なんとか現金1億円を準備する必要があります。また、仮に医療法人化しておらず、これが個人事業主としての開業医だった場合、より難しい問題が生じます。

 

医療法人の持分を幾らと評価するのかは難しい問題ですが、【個人事業主の場合】には、より個人の財産とクリニックの財産が分離されていないために、相続財産額の算出が難しくなります。

 

たとえば、高額な医療機器を導入している場合、その医療機器を一つひとつ評価していく必要が生じます。一方、【医療法人の場合】には、顧問税理士などに会計を委託しているケースが多いため、ある程度、その決算書類に基づいて相続財産を算出することが可能です。

 

さて、相続財産に遺留分を支払えるだけの預貯金があれば、問題は生じません。しかし難しいのが、「クリニックのお金と相続財産は別である」ということです。

 

たとえば、医療法人に金銭があっても、相続財産として遺留分の支払いに充てるには、長男が医療法人からお金を借りる形で、遺留分を支払う必要があります。もっとも、今回の事例では、クリニックにそれほどの余剰資金自体もなく、クリニックは相続したものの、遺留分を支払うのに窮するという事態が生じてしまいました。また、加えて厄介なのが、クリニック自体は利益もでており、医療機器も高額なものですから、遺留分額も高額になってしまうという点です。

 

このような「払いたくても容易に払えないパターン」が、苛烈な相続トラブルを引き起こす典型といえます。妹側は早く現金が欲しいということと、兄側も早く終わらせてクリニックの経営に専念したいということがあり、結局、手放す予定になかった先祖代々のクリニックの駐車場の一部を売却し、なんとか遺留分額を捻出して、トラブルを終結させることになりました。

 

結果として、換金性のある土地があったから幸いという風にもみえるかもしれませんが、長男・長女の関係も冷え切ってしまい、本当に辛い相続になってしまった事案でした。

相続対策には、実際の相続のシミュレーションを

クリニックの相続は、単なる相続の範疇ではおさまらず、事業承継対策が必要になるという意識をもっていたほうがよいでしょう。事前の相続シミュレーションを行うことは、①自分の死と向き合うという心理的な抵抗と、②時間的・金銭的な負担が生じてしまうという点とで、どうしても前に進めない人が多いという印象があります。

 

ただ、この対策をせずに、子どもたちがいがみ合うことになってしまうのは、より不幸なことだと思います。

 

実際の対策には、税理士や弁護士などと相談のうえ進めていく必要があるかと思いますが、①クリニックの価値の事前シミュレーション、②相続時の遺留分の発生等を含めた相続シミュレーション、これらを反映した③遺言書の作成という、3つのステップを嫌がらずに進めていくほかないでしょう。

 

事業は、自分の代だけで終わるわけではありません。次世代のことも考えた事業承継対策までやって、一人前の経営者として事業を成し遂げていってほしいと思います。

 

 

山村 暢彦

弁護士法人山村法律事務所

代表弁護士