マッカーサー道路が新橋の街を分断した
暑い季節になると新橋の烏森口を出て烏森神社裏やJRA(日本中央競馬会)付近までを歩くと、飲み屋の店内からはみ出たお客さんが、みな路地にビールケースと折りたたみいすを持ち出して夕涼みをしながらビールやチューハイを飲む姿が定番だが、そこに座っているのは意外に若い男女が多いのも事実だ。おじさんの店は焼き鳥屋や居酒屋、もつ鍋屋ばかりだと思いきや、高級な寿司店や割烹料理屋からちょっとおしゃれなワインバーやバル、イタリアンなどさまざまなジャンル、高級ものから廉価版まですべてのラインナップがそろうのが新橋だ。
新橋の飲み屋には欧米人などいないと多くの日本人が思っているかもしれないが、それも大いなる誤解だ。新橋駅烏森口からすぐの元桜田小学校跡地をぬけていった柳通り沿いのパブを深夜に訪れると「ここはどこ? 本当に日本?」と思われるほどの外国人、しかも欧米人のてんこ盛りに遭遇する。店内は大音量でロックやソウルフルな音楽が響き渡る。カウンター内の店員の多くは外国人。そんな彼らはテンポの良いリズムにあわせて一斉に踊りだす。その姿を観てお客さん達も踊る。ものすごい一体感。
そんな新橋ラブの私から見て、最近の新橋にはちょっと嫌な波が押し寄せてきているように見える。きっかけは2014年3月に開通した環状2号線、通称マッカーサー道路だ。この道路は新橋のど真ん中を東西に貫く道路で、虎ノ門から新橋、汐留を通って築地市場から豊洲新市場方面へとつながる。このうちの新橋、虎ノ門間が「新虎通り」として開通したのだ。
新橋の街はJR新橋駅から南の浜松町に向かって1丁目、2丁目となり、南端の6丁目まであるのだが、この道路は4丁目のほぼ中央を、街を東西に分断するようにして貫通した。私の事務所は最初の4年間は5丁目、そして後半の4年間は3丁目に構えたのだが、この道路が新橋の街に及ぼした影響を目の当たりにすることになった。
幅員の広いマッカーサー道路(新虎通り)ができて6年。街の様子は様変わりだ。
道路の南、つまり4丁目の南半分から6丁目にかけての街の活気が一気に萎んでしまったのだ。道路ができる前、5丁目の私の事務所から駅までは徒歩でおよそ7分。けっして近くはないが、十分歩ける距離。なんといっても新橋の魅力的な飲み屋街を抜けて駅まで向かうのだからたまらない。朝は徒歩7分で事務所に来るのになぜか帰り道は徒歩4時間になってしまうのが、この街の魅力とも言えた。
ところが道路開通後は、本当は駅まで同じ徒歩7分であるはずの道が妙に遠くなるという現象が起こったのだ。広い道路を渡るには信号機のある横断歩道を渡らなくてはならない。ところが信号機のある個所はほんの数カ所。つまり道路を渡るのに道路沿いに大きく迂回を強いられることになったのだ。こうした心理的要因は歩行者を妙に冷静にさせるようだ。飲み屋に向かうはずの足が自然と駅へと向かい始めたのだ。