アメリカ駐在の経験を描いた社長・・・「若きエンジニアの物語」

今回は、自身の体験をもとに、若きエンジニアの奮闘の物語を執筆した社長の事例を紹介します。※本連載では、毎回ひとつの事例をあげ、今なぜ社長作家が激増しているのか、そして、本を出すことでどんなドラマが生まれるのかを探っていきます。

「若者や高齢者に、もっと広い世界を見てほしい」

安全で環境にやさしい車へと進化させ豊かな車社会をつくりたい――。

 

本書『アメリカ駐在奮闘記』は、「交通事故」と「環境汚染」という大きな社会問題を抱えた1970年代アメリカを舞台に、若き日本人エンジニア駐在員が奮闘する姿を描いた物語である。

 

PCもスマホもない時代だった。パスポート不携帯でカナダから帰れず山猫ストに翻弄されるなど、予期せぬトラブルの連続だった。

 

そんな環境の中、主人公・牧健児は、「安全で環境にやさしい車へと進化させ豊かな車社会をつくりたい」という強い志のもと、仕事にまい進する。度胸とユーモアを武器に数々の困難を乗り越え、また、家族へありったけの愛情を注ぐ牧の姿が爽やかな文章で書かれており、すがすがしい読後感である。

 

 

著者である本多正樹氏は、米国トヨタテクニカルセンター元社長。パイロットを夢見て名古屋大学工学部航空学科を卒業するが、「これからは自動車の時代だ」と思いを新たにし、トヨタ自動車に入社した。

 

1971年、31歳のとき、ニューヨーク事務所に3年間駐在。アメリカ政府が定めた車の安全基準に沿った開発を誘導するなど、大きな役割を果たした。帰国後は車両開発に注力した。

 

1990年前後、日本車はモータリーゼーションの波に乗り、アメリカ市場を脅かすまでに急成長した。しかし、貿易摩擦が問題化。抗議デモで日本車が燃やされるなどの強い非難バッシング、輸出自主規制がされるなど、最大のピンチに陥る。トヨタはアメリカ国内での現地生産・開発へと舵を切る大決断をする。

 

本多氏は、1991年から2000年まで、アメリカトヨタテクニカルセンターのトップとしてデトロイトに10年間駐在した。アメリカの自動車業界のトップらとの交流を重ね、また、カムリを現地開発し、世界一の量産車にまで成長させた。

 

自身の二度の駐在経験を振り返り、自動車業界においてグローバリゼーションとローカリゼーションの波を生き抜いた本多氏は、自分の世界だけに閉じこもり外の世界を見ようとしない現代の若者や喪失感に満ちた定年後の高齢者の姿を前にし、「閉じこもった世界から広い世界を見て飛躍してほしい」という強い願いをもった。これが本書を執筆した理由である。

 

熱い志を胸に奮闘する若きエンジニアの物語は、読者のハートに、必ず火を灯すだろう。

 

 

本多正樹 著

『アメリカ駐在奮闘記』

 

 

PCもスマホもない時代。本社へはテレックスで報告。パスポート不携帯でカナダから帰れず、山猫ストに翻弄される。GMセミナーに潜り込み、ミルフォードの衝突実験場を見学。バーモントへのスキー旅行では、アメリカのお嬢さんをエスコート。暗い冬場は、マンハッタン探訪で気分転換。等々の話題が・・・・・・

度胸とユーモア、そして家族への愛情。海外駐在に奮闘する若き日本人エンジニアの物語。

 

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連載いま激増する「社長作家」――その実像を探る

幻冬舎ルネッサンス新社 代表取締役社長

企画編集室・室長を経て現職。代表取締役となった現在も、毎月10冊以上の書籍編集に携わる。手がけるジャンルはノウハウ書、旅行記、写真集、絵本など幅広いが、特に得意としているのは小説と自叙伝。著者の出版目的を満たすことを重要視し、書き手と細かく議論を重ねる編集スタイルが特徴。これまで多数の重版実績を持つ。

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