【その時どうした家康?】まさかの裏切りで九死に一生!信長唯一の撤退戦「金ヶ崎の退き口」

【その時どうした家康?】まさかの裏切りで九死に一生!信長唯一の撤退戦「金ヶ崎の退き口」
(※写真はイメージです/PIXTA)

徳川家康の知られざる大ピンチ。越前・朝倉義景を攻める織田信長が浅井長政の裏切りで戦場から脱出、家康は最前線に取り残されることになります。作家の城島明彦氏が著書『家康の決断 天下取りに隠された7つの布石』(ウェッジ)で解説します。

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織田・徳川vs浅井・朝倉の戦力分析

たとえば織田信長の場合、合計すると240余万石の領地を保有しているので、

 

250(人)×240(石)=6万

 

と計算。信長には、これくらいの兵力を擁する可能性があったということになる。ただし、居城や支城を守る兵もいるので、これらすべてを合戦に投入するのは不可能である。

 

240余万石の内訳……①尾張52万石、②美濃58万石、③伊勢57万石、④志摩2万石、⑤大和(南部3郡)7万石、⑥和泉14万石、⑦若狭9万石、⑧近江(南部6郡)44万石 以上8ヶ国で計244万石。

 

同様に、家康は約61万石(①三河34万石、②遠江27万石)で兵力1万5000。

 

敵方の朝倉義景は87万石(①越前68万石、②加賀〈南部2郡〉19万石)で、兵力2万。浅井長政は、江北(6郡)39万石で、兵力9700だった。

 

以上、見比べられるようにまとめると、

 

織田信長 6万2500
徳川家康 1万5000
朝倉義景 2万
浅井長政 9700

 

よって、織田・徳川連合軍は7万7500、対する朝倉・浅井連合軍は2万9700。この数字が姉川の戦い当時の両軍の“理論的なマキシマム兵力“ということになる。

 

■浅井・朝倉・織田・徳川の戦力比較

 

では、実際の合戦に投入された両軍の兵数はどれくらいだったのか。諸説あってどれが正しいとは断言できかねるが、ここでは参謀本部が調べた次の数字を採用したい。

 

▶浅井・朝倉連合軍 1万8000(全兵力の60.6%投入)
浅井軍(本軍) 8000(82.5%)
朝倉軍(支軍) 1万(50%)

 

▶織田・徳川連合軍 2万8000(全兵力の36.1%投入)
織田軍(本軍) 2万3000(36.8%)
徳川軍(援軍) 5000(33.3%)

 

数字だけを比較すると、織田・徳川連合軍は数の上でも戦力的余裕という面でも、浅井・朝倉連合軍を圧倒していたことがわかる。

 

戦死者についても数だけの比較ではなく、比率で比較してみる必要がある。

 

▽戦死者の比率比較
織田・信長連合軍 800余人(出兵2万8000 2.8%)
浅井・朝倉連合軍 1700余人(出兵1万8000 9.4%)

 

言い古され、書き古された感のある「姉川の戦い」だが、視点を変えると、浅井・朝倉連合軍は、戦死者の比率が織田・徳川連合軍より3倍強も多かったという見方もできるのである。

 

さまざまな史書には前記以外の数字も記されている。たとえば、『三河物語』は「信長1万余、家康3000余に対し、浅井・朝倉3万余」だが、『甲陽軍鑑』は「信長3万5000VS浅井5000、家康5000VS朝倉1万5000」。家康軍の兵数は『寛永諸家系図伝』(菅沼定政の伝)も『甲陽軍鑑』と同じである。

 

浅井・朝倉連合軍については、『信長公記』は「越前勢(大将は朝倉景健)8000、浅井長政5000」だが、「朝山日乗書状」(1569〈永禄12〉年8月19日)は「越前衆1万5000、浅井8000ばかり」。信長が合戦当日(6月28日)に足利義昭の側近(細川藤孝〈幽斎〉)に宛てた書状では「越前勢1万5000、浅井勢5000~6000」とあるが、12日後(7月10日)に毛利氏に送った覚書では「越前衆・浅井衆3万に及ぶ」。

 

また、『朝倉始末記』では「越前勢(大将は朝倉景健)8000、浅井勢(大将は磯野員昌)5000余」とバラバラだ。

 

城島 明彦
作家

 

 

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※本連載は城島明彦氏の著書『家康の決断 天下取りに隠された7つの布石』(ウェッジ)より一部を抜粋し、再編集したものです。

家康の決断 天下取りに隠された7つの布石

家康の決断 天下取りに隠された7つの布石

城島 明彦

ウェッジ

天下人となり成功者のイメージが強い徳川家康。 だが、その人生は絶体絶命のピンチの連続であり、波乱万丈に満ちていた。 家康の人生に訪れた大きな「決断」を読者が追体験しつつ、天下人にのぼりつめることができた秘訣から…

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