地震大国・日本の技術…「国立西洋美術館」が「3・11クラスの大地震」でも“美術品を守れる”という根拠

地震大国・日本の技術…「国立西洋美術館」が「3・11クラスの大地震」でも“美術品を守れる”という根拠
(※写真はイメージです/PIXTA)

大地震から命を守る上で、建物の安全性は欠かせません。倒壊を防ぐための工法としては「耐震」や「制震」がありますが、最も倒壊を避けたい首相官邸や、役所の庁舎や病院といった全国各地の重要なインフラ施設が採用しているのが「免震」です。本稿では、国土交通省(当時の建設省)が初めて採用して以来、重要建築物を中心に施工されている「免震レトロフィット」について見ていきましょう。免震化の普及に取り組む谷山惠一氏が解説します。

免震レトロフィットの施工例

【国立西洋美術館(東京都台東区)】

国立西洋美術館は、近代建築三大巨匠の一人であるフランスのル・コルビュジエによって設計され、1959年に開館しました。本館は「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の構成資産として世界文化遺産に登録されています。

 

同美術館は、中央の吹き抜けのホールを囲む回廊状の展示室などル・コルビュジエならではの「無限成長建築」と呼ばれるコンセプトが随所にちりばめられ、まさに建築そのものが芸術作品といえます。

 

ところがその耐震性能は、現在の基準から見ると半分以下の状態でした。そこで国土交通省は、国立西洋美術館本館等改修検討委員会を設置。改修方法の検討を重ね、文化的価値と地震への安全性を両立する方法として、日本で初めて免震レトロフィットを採用することにしました。

 

2年の工事期間を費やし竣工したのは1998年。計49台の免震装置を設置し、1台あたり約140〜300tの重さを支えています。これにより地震で建物が横に40cmずれても問題ないつくりになっています。

 

【東京駅丸の内駅舎(東京都千代田区)】

東京駅といえば、日本の交通手段を担う最も重要な施設の一つといえます。

 

そしてその丸の内駅舎は、明治41年3月25日着工、大正3年12月14日に竣工した歴史ある建物です。設計は辰野金吾。煉瓦造建造物としては最大規模の建築で、当時日本建築界をけん引した辰野の集大成となる作品として高く評価され、2003年には国の重要文化財に指定されています。

 

また、この建物はデザイン性だけでなく頑丈な軀体も持ち、マグニチュード7.9の関東大震災(1923年)でも持ちこたえた実績があります。

 

その保存・復原工事は2007年にスタートしました。内容としては、外観を創建時の姿を忠実に残すことはもちろんのこと、未来へ継承するために、鉄骨煉瓦造の下に地下軀体を新設し、機能拡大も計画されました。そして、大震災発生時に損傷を防ぐことも目的とされました。

 

日本建築学会の資料を確認すると、次のような方針が打ち出されていたようです。

 

●残存するオリジナルを最大限尊重し、保存に努める。

●オリジナルでないもののうち、オリジナルの仕様が判明しているものは、可能な限りオリジナルに復元する。

●オリジナルでないもののうち、オリジナルの仕様が明確でないものは、デザインに関する全体の印象を損なわないように配慮し、手の加え方を設定する。

●ただしオリジナルではない、後世の補修や変更に関しては、意匠的・技術的に優れたものは保存・活用する。

 

そして大地震への対策方法としては、免震レトロフィットが選ばれました。これは日本最大規模の免震レトロフィット工事となりました。

 

具体的には、大地震発生時に近接する鉄道施設と駅舎建物の接触を防ぐため、建物を支える352台のアイソレーターと地震力を減衰させる158台のオイルダンパーを用いました。

 

つまり、現在の東京駅丸の内駅舎の構造は、歴史を重ねた重要文化財である地上部と新築建造物である地下部の間に、免震層を挟み込んだ免震レトロフィットとなっているのです。

 

【大阪市中央公会堂(大阪府大阪市)】

大阪市中央公会堂は、明治期に「義侠の相場師」といわれた岩本栄之助が莫大な私財を投じて完成させた施設です。

 

株式仲買人として成功した彼は、1909年に渡米実業団に参加。米国の富豪たちが公共事業へ多くの寄付をしていることに感銘を受け、地元大阪でどこにも負けない立派なホールを建設しようと決意します。

 

そして帰国後、父親の遺産50万円に自分の財産である50万円を加えた100万円を大阪市に寄付します。この金額は現在の貨幣価値に換算すると数十億円になります。

 

工事は1913年に始まり、延べ18万4000人の職人と5年の歳月を費やし1918年に完成。

 

地上3階、地下2階建ての構造は鉄骨煉瓦造。デザインは、ネオ・ルネッサンス様式を基調とし、バロック的な壮大さも併せ持っています。

 

オープン以来さまざまな著名人が参加するイベントが開催され、ヘレン・ケラー女史、ガガーリン大佐、ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領など国際的VIPも講演を行っています。

 

そして1999年に老朽化したことから保存・再生工事を開始。創建当時への復原改修とともに大地震に備えて免震レトロフィットが採用されました。

 

【鎌倉の大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)】

そのほかにも、免震レトロフィットを採用したものではありませんが、歴史的価値が非常に高いもので、免震構造を採用した建造物に鎌倉の大仏があります。

 

770年前の1252年に造立された鎌倉の大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)は、現在まで数多くの災害の影響を受けてきました。

 

例えば、1923年9月1日の関東大震災のときは、大仏自体が約45cm前方に移動し、台座は右後側が約9cm、前側が約45cm地中にめり込みました。さらに翌年の1月15日の関東大震災の余震では、全体が約30cm後退しました。

 

このようなこともあり、1959年から2年をかけて文化財保護委員会による国庫補助修理が行われました。

 

その補強案の内容は次の3つです。

 

1. 台座を改修して免震的にする

2. 仏体内に頭部転落防止鉄骨枠組を設置する

3. 仏体内部で頭部および肩部に局所的なリブや篭型の裏付けをする

 

「1」の免震に関しては、東京大学地震研究所の河角廣教授により、鉄筋コンクリートで補強された台座に御影石を載せ、その上にステンレスの板を設置した免震装置が考案されました。大地震が発生しても御影石とステンレス板の間が滑ることで地震力が大仏に伝わらないようにし、被害を最小限にする免震構造です。当時の最先端技術といえるものでした。

 

現在も当時の設計どおりに機能しているか免震装置調査が行われ、台座回りからファイバースコープを挿入して、ステンレス板表面の状態を確認するなどで免震効果の維持に努めています。

 

 

谷山 惠一

株式会社ビーテクノシステム 代表取締役社長、技術士

 

日本大学理工学部交通工学科卒業後に石川島播磨重工業(現:株式会社IHI)入社。橋梁設計部配属。海外プロジェクト担当としてトルコ・イスタンブールの第1ボスポラス橋検査工事、第2ボスポラス橋建設工事等に参画。第1ボスポラス橋検査工事においては、弱冠28歳でプロジェクトマネジャーとして従事し、客先の高評価を得る。

その後、設計会社を設立し、海外での橋梁建設プロジェクトに参画。当時韓国最大の橋梁であった釜山の広安大橋建設工事などに、プロジェクトマネジャーとして従事。橋梁、建築物等の構造物設計・解析を専門とする。現在は橋梁設計のほか、独自の技術で一般住宅向け免震化工法「Noah System」を開発し、普及に努めている。元日本大学生産工学部非常勤講師。剣道五段。

※本連載は、谷山惠一氏の著書『もう地震は怖くない!「免震住宅」という選択』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録