※画像はイメージです/PIXTA

「会うたびに愛情が増していく。そしていまは死生を共にするしかないほどだ」……西南戦争において最期まで西郷隆盛の傍から離れなかった部下の増田栄太郎が残した言葉です。人望溢れる魅力的なリーダーの西郷でしたが、最期は「逆賊」の汚名を着せられ非業の死を遂げます。本記事では西郷の生きざまから、いま必要とされる「リーダー像」について考察していきます。

 

時代に合った目標を設定できないリーダーは“失格”

西郷は日本を変えていくという高い志を持ち、多くの人間を感化して、倒幕という1つの目標を達成しました。しかし、その後は一時目標を失い、「つくるのは苦手だ」と弱音を吐いています。征韓論を唱え再び目標をつくりましたが、それは否定されてしまいました。

 

そのとき、時代にあった目標を設定できないリーダーは失格だと自分で悟ったのではないでしょうか。何度も止める大久保を振り払い下野したのは、おそらく本当にリーダーを引退するつもりだったのだと思います。

 

しかし、郷里で自分の理想や想いを語り、その意思を引き継いでいく人間がいてくれればと若者に関わっていきます。そこで語られる夢や理想は、成り上がりたい若者の欲望をさらに掻き立てて、その暴走を引き起こしていったのだと想像します。

 

夢や理想を語るだけではリーダーになれない

リーダーは夢や理想を語るだけではいけません。向かうべきゴールをまず目の前に見据えなければならないのです。そして、それが時代に必要なものなのかを判断し、自らについてくる者たちを導く責任があります。それなのに、西郷の配下の若者たちは、勝手に暴走していってしまいました。なぜ西郷は止められなかったのでしょうか。

 

実は征韓論のときも、西郷は戦争をするわけではなく、自ら外交のトップに立ち、対話での解決を主張していました。戦いを積極的に望む人物ではありませんでした。

 

しかし、西郷は強く打てば強く響いてしまうのです。若者の思いに打たれて動き出してしまいます。そして、どこかで死ぬことでしかけじめをつける方法がないと考えたのかもしれません。そこもまた西郷隆盛の魅力ではあるのですが。

 

リーダーにはときに決断が必要です。ただ担がれるだけの象徴に過ぎないリーダーは、組織を間違えた方向にも引っ張ってしまいます。リーダーは常に目標を定めてその実現の責任を負いながら決断を繰り返し、前に進んでいかなければなりません。

 

明確な目標を定め、傘下を導くのがリーダーの「権限」

日本を変えなければ日本は滅ぼされる。だから変えていかなければいけないんだというプロパガンダ活動には、当時の限られたコミュニケーション手段を考えれば、西郷隆盛という強力な霊媒のようなものが不可欠だったはずです。

 

高い志に加え、倒幕という明確な目標がそのために設定され、西郷らの導きのもと、多くの人が巻き込まれました。その目標は達成されましたが、その功績を持ち高い志を貫く西郷が、自ら目標を作れなくたった瞬間、それは誰かの欲望を実現させるための力にされました。目標を自ら決められない、つまり権限行使ができない状態になった時点でその人はリーダーの座を然るべき後進に譲る必要があります。

 

権限を持ったままそれを行使せずにその座に残ることで、最悪その権限を他人に悪用されてしまう可能性すらあるからです。すっぱりと身を引いて、口は出さない場所にいる必要があります。

 

リーダーは、これを肝に銘じておくべきでしょう。高い志を持ち、清貧、無私を貫いた明治のヒーローですら間違いを起こしたわけですから。

 

 

羽石 晋

株式会社識学

営業1部 課長/シニアコンサルタント

 

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録
会員向けセミナーの一覧