
田中角栄はアメリカが「開放する」と決めた核エネルギーを使った原子力発電に軸足を移しました。日本のエネルギーの軸に原子力発電を据えようとしたのです。それはなぜでしょうか。日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。
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原子力を平和と繁栄に役立つ道具に転換
■原発推進へ翻意した東電社長の背景
「原子力発電は悪魔のような代物だ」
東京電力の創業的経営者であった木川田一隆は、こう公言して憚らなかった。しかし、その木川田こそが結局は悪魔と手を結び、原子力発電所を建設する決断を下すのだから、人間というのはわからない。1962年9月21日のことだ。
この日の東電常務会で、木川田は原子力への参入を宣言している。
「当社も、いよいよ原子力発電所を建設します。原子炉のタイプは軽水炉、ゼネラル・エレクトリック社の沸騰水型、第一号炉は出力40万キロワットの予定。福島県双葉郡大熊町です」
この常務会に出席した幹部の証言によれば、「有無を言わさぬ、極めて断定的な口調だった」という。
木川田には様々な思いがあっただろう。ただ、確実に言えるのは、日本が原子力発電という「魔の力」を利用せざるを得ないということになるのならば、それは民間企業である東電の仕事であるという強い自負だ。
実は、私は木川田の財界活動の女房役だった経済同友会副代表幹事の山下静一から、こんな話を聞かされたことがある。
「木川田さんは『これからは原子力こそが国家と電力会社との戦場になる。原子力という戦場での勝敗が電力会社の命運を決める。いや、電力会社の命運だけではなく、日本の命運を決める』と口癖のように言っている。そして『机上の数字あわせと法律で規制することしか知らず、しかも1〜2年でポンポンとポストが変わる無責任な官僚たちに電力という産業のいわば心臓部を奪われたら、日本は滅んでしまう』と、ことあるごとに力説していた」
ただ、ここで見落としてならないのは、「原発は悪魔のような代物」とまで言い切った木川田がなぜ突然、原発の必要性を認め一転、「建設はやむを得ない」と判断したか、ということだ。
■アメリカの原子力政策の歴史的転換
1962年は、エネルギー源が石炭から石油に切り替わり始めたときである。1バレル=1ドル60セント〜1ドル70セントという安い石油を、アメリカのオイルメジャー(国際石油資本)がいくらでも運んできてくれた。世界各地で大油田が次々に発見されていて、石油がなくなるとか、価格が高騰するといったリスクはこの時点ではなかった。
石油は安定した買い手市場だったわけだから、わざわざ日本でアレルギーの強い原発に舵を切らなくても、日本のエネルギーは石油を使った火力発電で十分賄えたはずだった。
公害が社会問題化し、火力発電所の建設が難しくなるのは、数年後のことだ。東電が急いで原子力発電所を建設しなければならない必然性はどこにもない。にもかかわらず、なぜ木川田は原発容認に振れたのか。
決定的理由は1953年12月8日のアメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領の言明である。アイゼンハワーはこの日の国連総会で、こう言ったのだった。
「原子力はこれまで大量の人間を殺害するための兵器であった。それを人類の平和と繁栄に役立つための有効な道具に転換する。それが原子力発電である」
この発言を世界は「コペルニクス的転換声明」と呼んだ。確かにこの声明はアメリカの原子力政策の歴史的な転換を意味した。
戦後、アメリカが独占してきた原子力の技術、情報を世界に開放するというのだ。日本やドイツなど元敵対国だけでなく、イギリスやフランスにも一切極秘としてきた原子力の情報を、今度は一転して公開し、人類の平和と繁栄のために協力するという。いわゆる「世界平和」そして「人道主義」だ。アイゼンハワーは、演説のなかで何度もこの言葉を繰り返した。
もちろん、それは言葉だけのこと。建前だ。冷徹な世界戦略がそこにはある。
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