(※写真はイメージです/PIXTA)

1970年に「生命科学」という分野の創出に関与し、早稲田大学、大阪大学で教鞭をとった理学博士の中村桂子氏。生物を知るには構造や機能を解明するだけでなく、その歴史と関係を調べる必要があるとして「生命誌」という新分野を創りました。そして、「歴史的文脈」「文明との相互関係」も見つめ、科学の枠に収まらない知見で生命を広く総合的に論じてきました。科学者である彼女が、年齢を重ねた今こそ正面から向き合える「人間はどういう生き物か」「人として生きるとは」への答えを、著書『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)として発表。自身が敬愛する各界の著名人たちの名言を交えつつ、穏やかに語りかける本書から、現代人の明日へのヒントとなり得る言葉を紹介します。

名詞「カルチュア(文化)」の語源となった動詞

黒田先生の言葉を清兵衛の言葉に重ねると、勉強してすぐに何かに役立てようなどと思わず、勉強ってすばらしいと思いなさいと言っているのだということがよくわかります。その通りであり、一つ一つ解説する必要なしですね。

 

ただ、「カルチベートされる」という言葉についてはちょっと考えたいと思います。ここからカルチュア、つまり文化、教養という言葉が生まれたのであり、この言葉を英和辞典で引くと「品性や才能を高める、磨く」と書いてあるところを意識して先生は話されたのでしょう。

 

とても大事なことですが、ただ、私のように生きものを研究している者がカルチベート(cultivate)と聞くと、まず頭に浮かぶのが「耕す」、次いで「栽培する」なのです。

 

辞書にもこちらの方が先に書いてありますので、本来は土を耕すから始まって、人間も耕して教養を身につけるようにするという意味に転じていったのでしょう。

 

これはとても大事なことなのではないでしょうか。私たちが土地を耕し、そこでイネやコムギなどの穀物やさまざまな野菜を育てる農業を始めたところから、他の動物とは異なる文化、文明を持つ人間としての生活が始まったのです。

 

文明はどんどん進み、今や多くの人が空調されたビルの中でコンピュータに向かって仕事をし、子どももスマホが一番身近な道具という時代になりました。

 

多くの人が自然と接することのほとんどない一日を過ごしています。けれども食べない人はいないわけですから、「耕すこと」が人間らしい生活の始まりであったことを忘れてはいけません。農業は本来そこの自然を生かして行うものです。

 

コムギに適している土地もあれば、イネがつくりやすいところもあります。栽培しにくいものを無理矢理植えるのではなく、雨の降り方や気温に合わせて作物を選び、さまざまなものを楽しんで食べてきたのが人間の歴史です。

 

耕すことはまさに自然を生かす行為なのです。人間のカルチュア(文化)もそれぞれの人に合わせて生まれるものでしょう。絵が描きたい、音楽が好きだ……いろいろある対象のそれぞれをそれぞれが楽しむことで、自分を磨いていきます。

 

合わないものを無理矢理やっても、少しも楽しくありません。

 

学校での勉強も同じですね。黒田先生はそのことをおっしゃったのでしょう。でも最近の教育は、一律に無理矢理覚えさせるところがあります。それではよい作物は実りません。勉強が嫌いになり、ついには学校も嫌いになったら悲しいです。

次ページ試験問題に採用された著者の文章とは?

本連載は、中村桂子氏の著書『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)から一部を抜粋し、再構成したものです。

老いを愛づる

老いを愛づる

中村 桂子

中公新書ラクレ

白髪を染めるのをやめてみた。庭掃除もほどほどに。大谷翔平君や藤井聡君にときめく――自然体で暮らせば、年をとるのも悪くない。人間も生きものだから、自然の摂理に素直になろう。ただ気掛かりなのは、環境、感染症、戦争、…

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