昭和時代の名古屋。キャリアに悩む技術者の青年は、縁あって賃貸業をメインとする不動産会社の営業マンへ転身。先輩に追いつくべく、夢中で仕事をこなしていたところ、社長から「雑誌創刊」の命令が…。手探り状態のなか、なんとか編集プロダクションの力を借りて雑誌作りを進行しますが、今度は販売経路の開拓という問題に突き当たります。

名鉄産業社長とのアポが、納入ルート開拓の足掛かりに

取次ルートの開拓には足しげく通いましたが、5月中旬になっても依然として進展が見られませんでした。各取次会社の名古屋支社だけでなく東京本社にも社長と一緒に出かけましたし、少しでも現状打破のきっかけがつかめないかと私の地元である宮崎選出の議員事務所に行って、取次業者とのつてはないかと尋ねてみたりしました。また、知人から紹介された大手新聞社の関係者にも面会し仲介してもらえないかお願いしてみましたが、いずれも芳しい結果にはつながりませんでした。

 

そんな空振りが続いていたある日、新たな味方が現れました。取引のある広告代理店の紹介で大手の折込広告会社の代表者と知り合うことができたのです。東販や日販に少しは顔が利くということで代表者に同行してもらったところ、先方の態度がやや軟化し私の本気度を理解してもらえたと感じました。今までは暖簾(のれん)に腕押しだったので大きな前進です。

 

さすがにその場で取引の承諾をもらうことはありませんでしたが、社内で検討してくれるとのことで一筋の光明が見えました。

 

一方、販売先の開拓にも進展がありました。名鉄の売店を運営する名鉄産業の社長を紹介してもらうことができたのです。当時の名鉄産業の社長は名鉄グループ労組の前委員長でカリスマ性があり近寄り難い人で、これまでもアタックをしたことはあったのですが、私のような一介の社員では会うこともままなりませんでした。私は名鉄産業社長と対等に話のできる人から事情を話してもらうのが効果的だと考え、自分がもっている人脈を駆使して接点を探しました。

 

私は前勤務先の知己に久しぶりに連絡し、無沙汰を詫びたあとに今の事情を話して「誰か有力者を紹介してもらえないか」とお願いしてみました。すると快く協力を申し出てくれ、当時の社会党議員を紹介してもらうことができ、名鉄産業社長に口利きをしてもらうことに成功したのです。

 

おかげで名鉄産業社長とのアポイントメントが取れて、名鉄産業への納入のきっかけをつかむことができました。名古屋では名鉄は国鉄、地下鉄と並んで市民の足ですから、その駅売店に雑誌が並ぶか否かは重大な岐路です。

 

「これで将来的に駅売店にも置けそうだ」と安堵しました。私はつくづく周りの人に恵まれていたのです。

 

 

加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長

 

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

賃貸仲介・管理業一筋50年 必勝の経営道

加治佐 健二

幻冬舎メディアコンサルティング

メーカーから転職して1976年に28歳で営業職として入社し、充実した日々を送っていた筆者。 その矢先、突然社長と常務から呼び出され「東海エリア初の賃貸住宅情報誌の創刊」を命じられたのです。 そして右も左も分からな…

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