「中世フランス文学の大家が、初級フランス語の授業を…」日本の大学教育、効率化はなぜ必要か?

「中世フランス文学の大家が、初級フランス語の授業を…」日本の大学教育、効率化はなぜ必要か?

大学における大学教授の役割は「研究」「教育」「学内行政」と多岐にわたります。しかし、得意な人が得意な分野の専任となることで、もっと組織の動きは効率的に、そして学生たちの教育も充実したものになるのではないでしょうか。バンカーから大学教授に転身し、現在は経済評論家として活躍する塚崎公義氏が解説します。※本記事は『大学の常識は、世間の非常識』(祥伝社)の内容の一部を紹介したものです。

語学学校や予備校から、教え上手な講師を招いては?

教育は、教育が得意な人が行えばいいので、博士号を持っていなくても、論文を書いたことがなくても構わないでしょう。ドイツ語入門などは、語学学校の先生を招けばいいでしょうし、経済学なども予備校の政治経済の先生を招けばいいかもしれませんね。

 

筆者が学生だった頃、フランス語入門を教わったのは教授からでした。もしかしたら、中世フランス文学研究の大家だったかも知れないと思うと、もったいないと思うと同時に、教授の教え方が上手かったという記憶はありません。おそらく、いまも多くの学生が同じことを感じているのでしょうね。

研究者による教育が、学生のデメリットになるかも…

研究者が教え上手であるか否か、という問題を別にしても、大学で研究者が教育をすることには、デメリットも多いと思います。

 

研究者の書く論文には様々な作法があり、研究者はそれを叩き込まれているので、学生にも作法を守らせようとするでしょう。しかし、学生が卒業後に企業人となるのだとすれば、研究論文の作法を知っていることは役に立ちません。むしろ、民間企業の文書の作法との違いに当惑することになるかもしれません。

 

たまたま久留米大学商学部には卒論がなかったので、論文の書き方を指導しなくてよかったのは、私自身にとっても学生にとっても、いいことだったと思っています。

 

もうひとつのデメリットとしては、優秀な学生に研究者への道を勧めてしまう可能性があることです。優秀な学生のなかにも、研究者の適性がある人と企業人の適性がある人がいるでしょうが、研究者の多くは「研究者になることは素晴らしいことだ」と考えているでしょうから、学生の適性を深く考えずに研究者への道を勧めてしまうケースも多いでしょう。

 

大学卒業後に大学院に進学して大学教授を目指すのは、コストもリスクも相当大きいので(拙稿『【大学教授になる方法】博士号を取得しても…ライバル多数で就職の可能性は常に「未知数」』参照)、学生本人がそれをしっかり認識したうえで選択をすべきなのですが、コストもリスクも考えずに教授に勧められたから漫然と大学院へ進学してしまった…という学生が増えてしまうのは、可哀想なことかもしれません。

 

 

今回は以上です。なお、本稿は拙著『大学の常識は、世間の非常識』の内容の一部をご紹介したものであり、すべて筆者の個人的な見解です。

 

 

塚崎 公義
経済評論家・元大学教授

 

 

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