モデル、俳優として活躍する栗原類さんは、8歳のときにニューヨークで発達障害の診断を受けました。彼が個性を伸ばし、ポジティブな生き方ができるようになったのは、母親の栗原泉さん(下記敬称略)の支えがあったからこそです。泉さんと児童発達支援スクールを展開する株式会社コペル代表大坪信之氏(下記敬称略)との対談をお届けします。
俳優・栗原類さんの個性を伸ばした母親に聞く、親の価値観を押しつけない子育て術

類さんの診断会議で最初に言われた衝撃の言葉

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左:栗原泉氏 右:大坪信之氏 
左:栗原泉氏 右:大坪信之氏(記事の最後に対談の様子をおさめた映像があります)

 

大坪>幼い頃の類さんは育てやすかったそうですが、お母様として気になるところはありませんでしたか?

 

栗原>赤ちゃんの頃はよく寝てよく食べる子で、楽させてもらってる感覚でした。小学校で「類くんは成長が遅れている」と指摘されたときも、実は私は困っていなかったんです。

 

大坪>類さんの発達障害が診断されたのはアメリカに住んでいらしたときと聞きました。どのような状況だったんですか?

 

栗原>ニューヨーク市の教育委員会の代表や、児童心理学者、精神科医、他校の教諭など多くの人が集まった会議で決定されました。そのとき、ほぼ満場一致で断言されたのが「お母さん、あなたは典型的なADHDです」という話でした。確かに子どものころから情緒的に未熟でコミュニケーションが苦手だったので納得はできました。

 

大坪>先にお母様が診断されてしまったのですね。

 

栗原>そうなんです。類については、私とはまったく違うタイプだから、母親と同じと思ってはいけないと指摘されました。

 

「あなたが小さなころにできたことを必ずしも類くんができるわけではない。ご自身ができたことを求めるのではなく、あなたが苦手だったこと、よく叱られたことのなかで、類くんにはできることを見つけてあげてください」と言われました。

 

確かに私は小さい頃からわりと何でもできてしまうタイプで勉強なんかは苦労した経験がなくて。でも類は私が持っていない「穏やかで誰とでも平等に接する」面がある。それに気づいて「できないこと」に目を向けなくなりました。

 

大坪>類さんに診断がついたことでショックは受けませんでしたか?

 

栗原>もちろん告知はショックでした。私がイメージしていた成長とは違ってしまうという漠然とした不安はありました。ただ類にできないこと、苦手なことが多い理由がはっきりしたので、これで対策が立てられる、新たな局面を迎えたという気持ちでした。