今や日常的に耳にする「国際化」という言葉。「外国人のための日本語教室」というミクロな多文化共生の事例から、国際化の具体的な意味と抱えている問題に迫ります。

等身大の多文化共生

外国人のための日本語教室…ふたつの町の異なる方針

神栖市国際交流協会(KIFA)の総会で、ある会員から外国人による日本語文集『かけはし』の編集についての意見が出された。

 

編集会議に参加してみたら波崎の人のみで、神栖の人が一人もいなかったのでビックリして、「良い文集を作っているのにどうして神栖から参加しないのか」という素朴な疑問が出された。

 

この件は微妙なところもあり、これまで会議で公式に議論されることはなかったものである。KIFAは神栖町と波崎町の合併によって新たな団体として再スタートしたものであるから、合併に伴うそれぞれの町の異文化をいかに統合するかは慎重を要する問題である。

 

『かけはし』は波崎町由来のものだったので、波崎の「外国人のための日本語教室」の講師だけで受講生を指導して作成されている文集であった。波崎の先生方は素晴らしい文集を作っているという自負があるので、「全体事業にすべきだ」という主張がなされ、一応そのように位置づけられた。

 

神栖の先生方は実質的には現状維持の運営がなされるだろうという暗黙の前提で反対はしなかったというのが実情のように思われる。私はKIFA会長としての巻頭言を依頼されるので、原稿の段階で隅から隅まで読んで巻頭言を書くことになる。色々な国の人々の文章を読むことは異文化の勉強にもなり、『かけはし』は個人的には良いものだと思う。

 

しかしながら外国人の書いている日本語はかなりの出来栄えなので、これだけの文章にするための指導と話ことばの指導の両立が可能かどうか心配になるほどである。

 

だれしも自分たちの文化を誇らしく思うのは当然のことだが、それを「他文化」に広めようとするときにこそ異文化コミュニケーションの難しさが発生する。

 

神栖の先生方は、日本語教室では日本で生活する外国人が日常生活を送るにあたって困らないような最低限の日本語を指導することがまず第一であるという。

 

まず日常生活のための「サバイバル日本語」を教えるべきであって、文集を作っている余裕はないという考え方である。神栖の先生方の教室運営の考え方、いわば神栖文化にももっともなところがあり、波崎文化の視点によって神栖の先生方は非協力的だと必ずしも即断できないところがある。

 

棲み分けが多文化共生の第一歩

ところでKIFAの日本語講師の先生方は日本語を教える一方で、外国人の各種の悩みや相談に乗ってあげることも避けては通れない現実の仕事になっている。

 

むしろ実際にはこのような先生方の日常的な活動が地に足の着いた国際交流の大きな役割を果たしていることは公式にも非公式にも確認されている。

 

またKIFAでは多文化共生の勉強会も実施しているが、多文化共生は「言うは易く行なうは難し」のところも多い。『かけはし』に対する考え方の違いも多文化共生の難しさを示している。

 

国際化といおうが多文化共生といおうが、本質は異なる価値観を許容し、共存共生することであろうから、まずは「自文化」を押し付けることを控え、共生が強制にならないためにはまずは「棲み分け」から始めることも解決策の一つかもしれない。

 

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秋山 武清

茨城県生まれ、茨城県神栖市在住。

日本電信電話公社(現NTT)に電信オペレーターとして一四年勤務。その間に青山学院大学、同大学院を修了。民間調査研究機関、専門学校、短大、大学勤務を経て青山学院大学経営学部教授。

専門はビジネス・コミュニケーション論、人間関係論。現在青山学院大学名誉教授、神栖市国際交流協会会長、朝日カルチャーセンター講師、カミスココ・アンバサダー。

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    本記事は、秋山武清氏の書籍『雑草のイマジネーション』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

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