今や日常的に耳にする「国際化」という言葉。「外国人のための日本語教室」というミクロな多文化共生の事例から、国際化の具体的な意味と抱えている問題に迫ります。

多文化共生が向き合うべき「中心的文明迎合主義」という現実

また最近は国際交流や国際化という言葉のほかに「多文化共生」という言葉もよく使われるようになり、KIFAでも「多文化共生勉強会」を組織して多文化共生について学んできた。総務省によると多文化共生は国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として生きていくこと(『多文化共生の推進に関する研究会報告書』二〇〇六年三月)と規定されている。

 

総務省の規定はこれよりも二〇年前に発表された堺屋氏の国際化の規定「多様な価値観の存在を許容し、これと共存共生する社会になること」とほぼ同じ内容であると考えられる。

 

私は国際化に関する中心的文明迎合主義の規定は古くなりつつあると考えていたが、大島愼子(ちかこ)氏の「欧米の制度を基準とした経済体制や政治制度を導入して欧米的な環境に一体化すること」(『茨城新聞』二〇一二年八月二五日)という国際化の中心的文明迎合主義的規定に接して大変驚き、大島氏に質問をしたところ回答をもらうことができた。

 

「……日本の金融ビッグバンも、企業のIRなど経済システムは、欧米というか、アメリカの制度にあわせているような気がします。……当時勤務していたルフトハンザ ドイツ航空では、九〇年代に、上級管理職になるつもりの人たちは、ビジネススクールにいくように、と全社的通知が出ました。理由は、当時、国際企業、多国籍企業ではドイツでドクターを取得した人よりも、アメリカの大学でMBAを取得した人の方が給与が高いという現象が起きたからです。

 

……アラブやアジアの航空会社もすべてアメリカの基準で運営されており、つまり、どこかの制度にあわせなければならない場合は、今までは、アジアやアラブ中心ではなく、欧米中心だったと感じています。それが正しいかどうかは別問題ですが。……」

 

大島氏が中心的文明迎合主義的規定を採用するのは実務経験に基づく現状認識からきていることが分かる。われわれの国際化や多文化共生の活動も中心的文明迎合主義の存在という現実にいかに対処するのかを考察して、再検討する必要があるのかもしれない。

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本記事は、秋山武清氏の書籍『雑草のイマジネーション』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

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