教育に燃えた20代、全力で駆け抜けた30代、何事にも野心的だった40代、学校現場と教育委員会の狭間で闘った50代、そして、肩書から解き放たれた60代。これからを担う世代へエールを込めて教師としての生き様を刻み込む!

就職浪人の身へ

私学教員の場合は、公立校の教員採用とは違い、民間企業の就職活動と同様に、自らが履歴書や適性検査結果などを持ち込むか、郵送するなどして積極的に”就活”を行わなければならなかった。そこで、まずは大学のOBを頼るなどして、自分の売り込みから始めた。また縁故、知人紹介などいわゆる「コネ採用」も巷間こうかんよく言われていたので、大学の就職課にも協力をお願いした。

 

そんな中、大学からの紹介で某私立女子高校から話があったが、結局のところ、辞退させていただくことになった。ちなみに、その女子高は偏差値もかなり低く、課題の多い学校であった。私が「どこでもいいから」と依頼していたこともあり、紹介していただいた就職課の大物先生※4は大変なご立腹で、私の尊敬するゼミの指導教授にまでクレームをつけられた程であった。いずれにせよ、私はかくして就職浪人の身となった。

 

そして翌年6月の父の他界と相まって、さすがに性根を入れ替えて真剣勝負で臨まざるを得ない状況へと追い込まれていった。午前中はバイト、午後はその足で図書館、そんな繰り返しの中で、ようやく東京都の教員に合格することができた。この頃の受験倍率は、私が受験した「高校・社会」が他教科に抜きんでて一番倍率が高く、加えて、丙午ひのえうまの影響で採用数もかなり抑え込まれていたこととも重なって、かなりの狭き門※5となっていた。

 

さすがに、これ以上浪人生活は続けられない。万が一のことも考えて、東京都以外にも、長野県と愛知県にも出願していた。長野県は地元ではあるが、”田舎臭さ”が当時の私には性に合わず、丁度一次試験日の時にたまたま台風が接近していたこともあり、それを口実に受験そのものを放棄した。

 

※4:「就職課の大物先生」私が以前から教員採用全般にわたって大変お世話になっていた先生で、高校の校長経験者でもあり、中学、高校の公立・私立を問わず教育界に顔が利くとの評判の先生であった。私と同郷ということもあり、常々気にかけていただいていた。先生がお怒りになられたのには、以前、私が「どこでもいいから紹介して欲しい」と頼み込んでいた経緯がある。

 

※5:「かなりの狭き門」私が受験した当時、高校入学の生徒の年代は、丙午生まれの影響で出生率が大変低く、高校教員採用枠が抑えられていた。

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    本記事は、20年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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