(※写真はイメージです/PIXTA)

私たちは、日常で起こるさまざまなできごとに対して、自分で判断して行動していると思っています。しかし、一方では「あんなことを言うつもりじゃなかったのに」「なんであんな間違いをしてしまったんだろう」など自分でも理解できない発言や行動をすることも少なくありません。これは、人の心には、自覚している「意識的な領域」と自覚していない「無意識的な領域」があるからです。無意識的な領域を紐解き、自分自身の心を深く知るための第一歩として、本稿では「そもそも心とは何か?」について見ていきましょう。精神科医・庄司剛医師が解説します。

そもそも心はどこにあるのか?

心を直接見ることはできませんが、その存在は当然のこととして受け入れている人が多いと思います。では「心はどこにあるのか」と問われると、実体がないので答えに窮してしまいます。

 

古代ギリシャの時代から、心の在処は人々の関心事だったようです。哲学者のアリストテレスは心は胸(心臓)にあるといい、医学の祖といわれるヒポクラテスは脳にあると考えていました。

 

現代では、科学的には脳にあると考えられています。しかし「頭では許さなければいけないと思っているけれど、心ではどうしても許せない」というような言い回しをしたりすることもあります。このようなことから哲学者のギルバート・ライルは、「大学を構成する建造物と大学という機能を同一視するようなもので、心の在処を探すのは誤り(カテゴリーミステイク)である」と比喩的に主張しました。

 

パソコンにたとえるなら脳が「ハードウェア」、その上を走っているOS(オペレーティングシステム)を含む「ソフトウェア」のようなものが心と考えれば分かりやすいかもしれません。いってみれば心というのは概念であり、そういったものを想定したほうが他人と議論したりするのに理解しやすく便利である、というものです。コンピューターの電子的な信号を一つひとつ0と1、あるいはオンとオフで指示していたら、あまりに非効率でほとんどの人には理解不能です。そのためユーザーインターフェースとしてOSが発達したわけです。脳の機能を直感的に理解しやすくし、その機能をアクセスしやすくしているのが心といってもいいのかもしれません。

 

■空腹を感じて「なにか食べよう」と考えられるのは、心が発達しているから

心と体の関係は非常に密接です。体から発せられる信号や知覚、本能といわれるような生物学的に組み込まれているものを利用するには心が把握できる形に変化させなければなりません。それをメンタル(精神)化するという意味でメンタライゼーションと呼びます。

 

具体的にいうと、私たちが日常で感じている視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚といった外からの感覚や、お腹が空いたとか眠いといった内部からの感覚は、メンタライズしなければ認識することができません。お腹が空いていてもそれがメンタライズされていなければ、それは漠然とした不快感としか感じられず、お腹が空いているからなにか食べようという考えも生まれません。

 

つまり外的な刺激(殴られたとか大事なものをなくしたなど)や内的な刺激(欲求や痛みなど)をメンタライズすることにより心で感じ処理をし、気持ちの問題として扱うことができるようになるわけです。

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    ※本連載は、庄司剛氏の著書『知らない自分に出会う 精神分析の世界』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

    知らない自分に出会う 精神分析の世界

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    庄司 剛

    幻冬舎メディアコンサルティング

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