(※写真はイメージです/PIXTA)

私たちは、日常で起こるさまざまなできごとに対して、自分で判断して行動していると思っています。しかし、一方では「あんなことを言うつもりじゃなかったのに」「なんであんな間違いをしてしまったんだろう」など自分でも理解できない発言や行動をすることも少なくありません。これは、人の心には、自覚している「意識的な領域」と自覚していない「無意識的な領域」があるからです。無意識的な領域を紐解き、自分自身の心を深く知るための第一歩として、本稿では「そもそも心とは何か?」について見ていきましょう。精神科医・庄司剛医師が解説します。

「快・不快」の感覚が心を育む基礎となる

このように身体感覚を端緒として心が発達してくると考えると、生まれて間もない赤ちゃんはまだ「心」とか個としての「自分」の感覚をもっていないことになります。ウィニコットという小児科医でもある分析家は、生まれてすぐの赤ちゃんというものはお母さんと融合した状態にあるのだと説明しました。実際ちょっと前までお母さんの一部だったわけで、心もなく考える力もない赤ちゃんにその変化を理解することはできません。

 

胎児の時との違いは不快感を感じるようになることです。赤ちゃんはもう胎盤から絶えず栄養をもらっているわけではないですし、羊水に包まれているわけでもありませんので、お腹が空いたりおむつが濡れて不快になったりするわけです。しかし赤ちゃんはまだ心が発達していないので、それが「お腹が空いている」とか「おむつが濡れて気持ちが悪い」と理解することができません。そのため赤ちゃんはその不快感を外からの攻撃のように感じるのです。お腹やお尻に不快感を与えられているというように感じて泣くわけです。

 

それを親が「お腹が空いているのかな」などと察してミルクを与えます。これによって赤ちゃんは満たされて「不快」から「快」の感覚に変わります。これを繰り返すことで徐々に「お腹が空くとは、こういうことなんだ」と、言葉は分かりませんが体験として理解できるようになっていきます。

 

つまり、赤ちゃんは「快」か「不快」かという両極端の世界で生きているわけです。そしてその「不快」は自分で解消することができませんから、親がそれを解消してあげなくてはならないことになります。親は「どこが痛いのか」「なにが苦しいのか」「どこが不快なのか」などといろいろと考えを巡らすことになります。この考えるプロセスが徐々に赤ちゃんに伝わって、これが空腹感というものなのだとか、お尻が冷たい気持ち悪さはおむつを変えてもらうと解消するのだというような体験をするわけです。そして赤ちゃんは、その体験の「意味」を見出していきます。

 

■赤ちゃんにとっての「相手(対象)」も「良い対象・悪い対象」しかない

また赤ちゃんにとっての「相手」(対象と呼びます)も良い対象と悪い対象に極端に分裂しています。また赤ちゃんにとっての対象はまだ「母親」などの人物を全体として認識できるわけではないので、例えば良い対象はミルクをくれる母親の乳房や抱っこしてくれる腕、体温などバラバラの部分部分の感覚しかないと思われます。不快で泣いているときは、すべてが自分を攻撃してくる悪い世界だ、母親を含むすべてが敵だと感じられてしまいます。

 

それが、だんだん成長して半年から1歳前くらいになってくると、「あれっ、さっきミルクをくれて温かく抱っこしてくれた人と、どこかに行って自分を不安にさせたり不快にさせている人は、もしかして同じ人?」と分かってきます。つまり乳房とか腕とか部分ごとでしか認識していなかった対象を全体対象として認識できるようになってくるわけです。

 

そうすると敵だと思って反撃し、泣いたり怒ったりして傷つけた相手が実は大好きな母親と同じ人物だったと気づき、罪悪感を覚えるようになります。また自分の欲求をすべて叶えてくれるはずだと思っていた万能的な母親像から、できることにも限界がある現実的な母親像に変化し、それは赤ちゃんにとって落胆と悲しみをもたらします。

心の成長とともに「人となり」も形成されていくが…

このように、心が成長してくると悲しさ、寂しさ、罪悪感といった高度な感情が芽生えてくるようになります。そして、いろいろな経験を積み、しだいに「パーソナリティ」が形成されていきます。

 

パーソナリティとは通常「人格」と訳されますが、つまりその人の「人となり」のことです。個性や性格といったものとも重なるところがあります。その人の考え方の傾向やなにかが起こったときにどう受け止めがちであるか、どう反応するか、人とどう関わりどう生きるかといった部分が関係してきます。通常そのパターンはどういった場面でも共通して現れるとされていますが、実際はパーソナリティにはさまざまな側面があり、いつも完全に同じ反応があるわけでもありません。その人物を知れば知るほど複雑さを増し、簡単には理解できないものです。

 

このパーソナリティの「偏り」が見られる場合、操作的診断基準ではパーソナリティ障害と呼ばれています。境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害などに分類されていますが、実際はこれらの障害の症状がはっきりと分かりやすい人ばかりではありません。なかには典型的な人もいますが、診断は簡単ではないのです。

 

特に判断しようとする相手が家族であったり、ともに過ごす時間が長い人の場合、お互いに感情的な評価をしがちなため、なかなか中立的な診立てはできないと思ったほうが良いです。

 

■パーソナリティ問題の原因は、本人の素質と生育環境の要因が「半々」

このパーソナリティ障害がどのように形成されるかに関しては議論がありますが、素質と生育環境の要因が「半々」だと私は思っています。例えば生まれつき非常に育てやすい子と、育てるのに苦労する子がいます。最近では発達障害の概念がよく知られるようになり、その指し示す範囲も拡大していますが、発達障害というのもいってみれば極端な素質ということができます。それが強い場合、親が子どものニーズを理解して満たしてあげることが非常に難しいということが起きます。

 

いろいろ考えて、ミルクをあげてもおむつを変えても抱っこしてもなにをしても泣き止まない、となると、その赤ちゃんの「不快」感を抱えきれなくなります。するとお母さんは疲弊したり落ち込んでしまったり、通常の行動ができなくなったりするかもしれません。最悪の場合はネグレクトなどの虐待に進んでしまうこともあり得ます。これが繰り返されるとパーソナリティの発達にも影響が出てくるのです。ですからパーソナリティ問題の原因はその子の素質や素因と、親や環境の失敗が「半々」であり、また相互に関係しているといえます。

 

間違ってほしくないのは、親や環境の失敗というのは相当極端な場合をいっているということです。親が子どものニーズを理解し損ね間違える、なんらかの現実的な状況によって満たすことができないということは日常的に起こりますし、それは仕方のないことです。

 

それが現実であり、子どもは成長につれてその現実に少しずつ触れていけるようになっていく必要があるのです。もし、自分のニーズが全部満たされ、そしてそれがずっと続くとなれば、子どもは限界や望ましくないこと、許されないことに対処して生きていく能力を養うことができません。子どもにとって受け入れられる範囲で、少しずつ現実の限界に触れてそれを受け入れることができるようになることも、成長の重要なポイントなのです。

 

パーソナリティと似た言葉に「気質」がありますが、これは遺伝的な素質で生涯変わらない部分をいいます。現代の言葉で発達特性などというのも重なる部分が多くあります。

 

一方、前にも触れたように「性格」は環境や経験で変わることもあります。また、倫理的な価値判断を含めて「人格」ということもあります。この「人格」が一般的に英語のパーソナリティの訳語として使われます。

 

パーソナリティ(人格)は、感情や思考、行動の傾向、気質や性格、人格、能力などを包括的にとらえた言葉として用いられています。パーソナリティは、生まれつきの気質と環境要因が関わり合って発達していきます。

 

特に子どものころは、親との関わりで生まれる情緒的な愛着によってパーソナリティの基礎がつくられる大事な時期といえます。

 

 

庄司 剛

北参道こころの診療所 院長、精神科医

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    ※本連載は、庄司剛氏の著書『知らない自分に出会う 精神分析の世界』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

    知らない自分に出会う 精神分析の世界

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    庄司 剛

    幻冬舎メディアコンサルティング

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