閉塞感と不透明感にあふれる現代において、田中角栄が首相在任中に取り組んださまざまな試みを振り返って、そこからヒントを求めることは、必ずや何らかの参考になるはずです。今こそ「令和の田中角栄」が求められるのではないでしょうか。ジャーナリストの田原総一朗氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。

田中角栄が法律に詳しくなったワケ

■田中角栄が取りまとめた「都市政策大綱」の恐るべき内容

 

私は田中角栄以降、日本の歴代総理大臣とはすべて一対一で会って話をしています。田中角栄の特徴は、なんと言っても構想力でしょう。

 

すごい政治家だと初めて認識したのは、1968年に角栄が自民党都市政策調査会長として「都市政策大綱」を発表したときでした。

 

前年の東京都知事選挙で、社会党と共産党が推薦した美濃部亮吉が当選しました。それ以前も京都はすでに革新知事が誕生していたし、その後は名古屋や大阪でも革新系候補が勝った。そのような状況に危機感を覚えて、角栄は雑誌『中央公論』に「自民党の反省」という論文を書きます。

 

当時、太平洋側の都市は工業化が進み、人口の過密と公害が問題になっていました。そうした不満を吸い上げて当選したのが革新系の首長たちです。それに対して角栄は、「革新は反対だけで対案がなく、政権を任せられない。だから自民党が力をつけなくてはいけない」と反省したのです。

 

では、どうすればいいのか。そのひとつの答えを示したのが「都市政策大綱」でした。角栄が示したのは、「日本全体をひとつの大きな都市にする」という構想でした。新幹線や高速道路、航空路線網を張り巡らせ、日本全国を日帰り圏にする。

 

そうすれば、日本海側や内陸部にも工場ができ、人口過密や公害で悩む太平洋側の問題も解決できるというわけです。こんな構想を示した政治家は、それまでの日本にはいませんでした。

 

■法律づくりの名人だった田中角栄

 

私が「都市計画大綱」で素晴らしいと思ったポイントは2つです。まず公共のために個人の権利を制限すること。もう1つは、開発する具体的な地名を挙げなかったことでした。

 

都市政策大綱ができた背景には、角栄の強みである膨大な法律の知識がありました。角栄は42年間にわたる議員人生で、実に33本もの法律を議員立法で成立させています。元通産官僚だった堺屋太一さんに言わせると、これはとてつもないことだそうです。

 

新しい法律をつくるには、それまでの法律を全部理解していないといけません。だから専門分野の官僚が必死に勉強してつくるのが一般的です。それを尋常高等小学校卒の角栄がやったのはすごいというわけです。

 

角栄本人に「どうしてそんなに法律に詳しいのか」と聞いたことがあります。すると、彼は幼少時に吃音症となり、それを治すために毎朝畑で六法全書を読み上げるうちに暗記したと教えてくれました。

 

角栄が1947年に衆議院議員に初当選したときの首相は、吉田茂です。吉田はいつも六法全書を脇に抱える角栄をからかうつもりで、法律の条文を3つ尋ねた。そして、角栄が全部答えたことに感心して、一年生議員なのにもかかわらず、法務政務次官にしたという逸話もあります。

 

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    本連載は田原総一朗氏、前野雅弥氏の著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)より一部を抜粋し、再編集したものです。

    田中角栄がいま、首相だったら

    田中角栄がいま、首相だったら

    田原 総一朗 前野 雅弥

    プレジデント社

    2022年は、田中角栄内閣が発足してからちょうど50年にあたる。田中角栄といえば、「ロッキード事件」「闇将軍」といった金権政治家のイメージが強いが、その一方、議員立法で33もの法案を成立させたり、「日本列島改造論」に代…

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