(※写真はイメージです/PIXTA)

江戸時代末期の蘭学者の高野長英は幕府の対外政策に批判的な蘭学者がいっせいに検挙された「蛮社の獄」に巻き込まれ、理不尽な罪状で終身刑となります。その後、日本はどのように開国をしていくことになるのでしょうか。渡瀬裕哉氏が著書『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和』(ワニブックス)で解説します。

江戸時代「異国船打払い令」の意味

では、幕府批判が投獄に至った当時の「異国船打払い令」は、日本の社会にとってどのような意味があったのでしょうか。学校の歴史教育では、鎖国をすることによって外国と300年間にわたって戦争をしなかったとか、平和になったとか教えられます。実際にこれは、国内統治の必要性、つまり徳川幕府の存続のための施策です。

 

徳川幕府は、基本的に二つの政策で統治を行いました。ひとつは社会主義的な国内政策、もう一つは対外情報の独占です。

 

一つめの国内政策は、流通の制限です。映画やテレビドラマでおなじみの『水戸黄門』でも、各地を漫遊するときに関所を越えるシーンがよくでてきます。現代では隣の県に行くのに関所を越える必要はないのですが、江戸時代は藩と藩の間に関所が設けられていました。関所は各藩の国境で幕府が出入国の追跡・管理を行う機関となり、特に江戸への出入りは武器流入や情報の流出に厳しい監視が行われ、全国の大名を統制するための施設として機能しました。

 

関所制度がほぼ完成した1700年代に53か所+α(補助的な脇関・裏関)まで増えた関所は、人やモノ、金、情報の流通を妨げます。つまり各地域で経済の発展が抑制されます。人流をはじめ、流通や情報伝達の抑制は、日本全体での経済成長力を著しく下げるのです。経済の発展が抑制されれば、政治のスピードも遅くなります。新興勢力が財源を得られない、つまり成長しないからです。徳川幕府の仕組みは、日本国内に新しい敵が出てこないようにする統治スタイルを取っていたので、三百年あまり続いたのです。

 

二つめの対外情報の独占は、長崎の出島で管理されました。貿易の窓口を制限すれば、オランダや中国大陸との貿易で入ってくる国際的な情報や、新しい技術に関する情報を徳川幕府が独占できます。情報の独占によって、日本全国の大名が治める各藩に対して、圧倒的な優位に立つことができるからです。

 

このため、各藩がアメリカやイギリスなど、手近な海岸線に取り付いた外国船と勝手に情報交換をしたり、交易を開いたりすることが常態化すると、徳川幕府はとても困ってしまうのです。幕府の情報独占が解けてしまうからです。異国船打払い令を無理矢理定めた背景には、徳川幕府の統治システム維持という意図もあったのです。

 

徳川幕府が日本を完全に掌握する前、日本と外国との交易は、各地の大名にとって大きな収入源でした。江戸時代より前は、東南アジアまでが日本の商圏です。外国との新しい関係を開拓しようとした伊達政宗は、メキシコにまで使節を送っています。この使節は、さらにメキシコの宗主国スペイン、次いでローマを訪れ、スペイン国王やローマ教皇との接触を果たしました。

 

もっと言えば、戦国時代は各大名が海外との交易で力を付けています。もっとも目立つのは織田信長がポルトガルなど南蛮の宣教師を保護し、西洋文化を好んで取り入れていったことです。このほかにも、16世紀半ばに九州で一大版図を築いた大友氏が中国や南蛮との貿易で経済力を蓄えています。

 

国際的な貿易、つまりグローバルな力は、日本国内の戦国時代の抜きがたい背景なのです。徳川幕府の長きにわたる統治機構を築いた初代将軍徳川家康も、豊臣秀吉の政権下で移封となった関東の自領に大陸との貿易拠点を作ろうと企図しています。当時の領国経営にとって、交易が重要だったことが分かります。

 

徳川幕府の支配が確立すると、最初に行った政策のひとつに外洋航行が可能な船の禁制があります。家康の最晩年、元和元年(1615)に徳川幕府は武家、朝廷、寺社に対して基本法規を定めました。武家に対する規範は『武家諸法度』として知られています。家康の死後も歴代将軍のもとで改正されますが、幕末まで影響したのは寛永12年(1635)6月21日、第三代将軍徳川家光のときに加えられた「大船建造の禁」です。第二代将軍の秀忠が発し、家光の時代に確立しました。

 

古くからある日本独自の様式を持つ船を和船といい、江戸時代より前には海外との交易に耐える大型船もありました。徳川幕府は、西国大名の水軍力を抑えることを目的に、五百石積み以上の船の建造を禁止し、これ以降、江戸時代を通じて和船は国内の沿岸水運に特化していきます。

 

この禁制により、軍船だけでなく商船にも規制は及び、外洋航海ができる大型船は造られなくなりました。本来は大名の水軍力を削ぐという目的による規制が、実質的に鎖国政策の柱として機能した一例です。徳川幕府は、他藩の外洋船建造を禁じることで、貿易と、貿易を通じて入って来る情報を独占したのです。

 

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※本連載は渡瀬裕哉氏の著書『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和』(ワニブックス)から一部を抜粋し、再編集したものです。

無駄(規制)をやめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和

無駄(規制)をやめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和

渡瀬 裕哉

ワニブックス

現在の日本の政治や経済のムードを変えていくにはどうしたらよいのでしょうか。 タックスペイヤー(納税者)やリスクを取って挑戦する人を大事にする政治を作っていくことが求められているといいいます。 本書には「世の中に…

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