日本ではかつて、文化を軽視するあまり、重要な建物などの多くの文化財を失ってしまった過去があります。それらを教訓とし、「文化財保護」の考えは広まりましたが、現代において、新しい建物を建てるために、古い建物を壊していることは少なくありません。本記事では、歴史的建築物の再生・活用を中心に活躍する一級建築士の鈴木勇人氏が、日本で「文化財」を保護する動きが広まった背景について解説していきます。

国内の戦や、他国との戦争で失われた多くの建造物たち

建築物に対する人為的な破壊でいえば、戦争も挙げられます。日本はかつての戦争で数多くの空襲を受けましたが、それにともなって貴重な建物もたくさん失われています。

 

お城もそのなかの一つです。太平洋戦争時の空襲で天守が焼失・倒壊した城は全国に7つあり(水戸城・名古屋城・大垣城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城)、これらはいずれも国宝に指定されていました。

 

もっとも、城は他国との戦争だけではなく、日本国内における戦や政変でも数多く壊されています。

 

一例を出すと、織田信長の建てた安土城がそうです。この城は現在の滋賀県近江八幡市に3年の歳月を費やして築城されましたが、各層の外面は朱色や青色、白色に塗られ、最上層は金色に輝いていたと伝えられています。

 

また、狩野派の代表的画人であり、日本の美術史上における重要な存在として知られる狩野永徳の墨絵が描かれた部屋や極彩色に彩られた部屋など、その当時の国内最高の建築技術と芸術が結集した一大建築物でした。

 

この名城は完成後わずか3年で焼け落ちています。信長が本能寺の変で亡くなった直後のことです。

 

もし、この安土城が今も残っていたとしたら、当時の建築文化の素晴らしさをまざまざと感じさせてくれていたはずです。地域に対しても観光的な面から大きな経済効果をもたらしたはずです。その意味でも、戦争は多くの人命を奪うことに加え、貴重な建築文化も奪い去ってしまうわけです。

 

戦争に関しては「京都は古いお寺がたくさんあるから空襲を受けなかった」という話があります。貴重な建築物は有事においてもまちを守る働きがあるといえればいいのですが、これは俗説で、京都も空襲を経験しています。

 

回数自体は多くはなく5回程度ですが、死者も出ています。他の大都市に比べて空襲を受けた回数が少ないのは「古都だから」という理由ではなく、原子爆弾の投下予定地だったためという説が有力になっています。

 

新しく開発したばかりの爆弾の効果を詳細にチェックするために、まちの状態を保ち「使用前・使用後」を比較しようということです。戦争の前では古都もしょせんはそうした扱いになってしまうのです。

 

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地方創生は古い建築物を見直せ

地方創生は古い建築物を見直せ

鈴木 勇人

幻冬舎メディアコンサルティング

真の地方創生とは―― 福島県の復興を担ってきた建築家が示す、 伝統ある建築物の可能性とその活用法 日本の古い建築物が次々と取り壊されています。 経済効果を生まないという極めて短絡的なもので、スクラップ&ビルド…

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