五輪競技会場も夢の跡…有明エリアの未来と開発の歴史
2050年、江東区の有明は今の流れでいくと、その情景が大きく変わることはなさそうである。このまま五輪の仮設競技場が取り払われ、その後にタワマンがいくつもできるのだろう。
新たに地下鉄が引かれるとも思えない。交通利便性の悪さは、2050年になっても現状と大して変わらないだろう。
東京の街をこれ以上拡大させる必要のないことは、政治家も役人もわかっている。だから、お金のかかるインフラを新たに作ろうとするモチベーションは基本的にないと思いたい。現状のインフラを維持するだけでもたいへんなのだから。
有明や豊洲、東雲といった東京湾の埋立地は、ほぼ昭和期以降に本格的な開発が行われた。そしてこのエリアは、どういうわけか長きにわたって生粋(きっすい)の東京人たちにはほとんど振り向かれなかった。
いくらかでも先行して開発されたのは、地下鉄有楽町線が延伸して1988年に新駅が開業した、隣接の豊洲エリアだろう。
2000年代に入って、IHI(旧石川島播磨重工業)の造船所跡地を三井不動産(当時)が中心となって開発。瞬(またた)く間に職住混在の街として、今のようなカタチに仕上がってしまった。
一方、臨海副都心の一部である有明エリアは、どちらかと言えば「不運を背負った街」のように思える。
1990年代の初めに世界都市博覧会を開催しようと、当時の鈴木俊一知事が積極的に計画を進めた。ところが、1995年の都知事選挙で当選した青島幸男知事が中止を決定。計画は見事に頓挫(とんざ)してしまった。
続いて石原慎太郎知事になって、このエリアを主な競技会場に想定する五輪の誘致活動が行われた。それも2009年の選考では、開催都市をブラジルのリオデジャネイロにさらわれた。
その当時の誘致計画では、選手村は有明に設置されるはずだった。これは、このエリアにとって2度目の挫折であった。
榊 淳司
住宅ジャーナリスト
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