(※写真はイメージです/PIXTA)

小児科医である大宜見義夫氏の著書『爆走小児科医の人生雑記帳』より一部を抜粋・再編集し、子どもたちとの心の触れ合いを紹介します。

「顔がよく見える!」はずが…3か月後、まさかの事態

診察室に入るや否や、「先生の顔がよく見える!」と口走った。学校でも先生の顔が初めてよく見えたと嬉しそうに語る。これまで担任の顔も黒板も緑色にぼやける形でしか見えなかったという。夕方になると再びぼやけるというから薬の効果が切れるせいかもしれない。

 

「カレンダーを見られるようになったし、テレビの番組案内も見える」と嬉しそうだ。本も顔から離して読めるようになった。嬉しいことに、学校でのおしゃべりも減り、提出物の忘れ癖も減った。学習にも力が入り、成績も少しずつアップしていった。

 

しかし、3か月たつと、再び人の顔がぼやけ見えにくくなったと言いだした。

 

そこで薬の増量をはかったところ、吐き気と激しい腹痛で朝起きられなくなったので、やむなく現状維持に戻した。

 

視力については専門の眼科医を探し当て、治療を続けた。眼科的な診断名は近視性乱視調節緊張症とのことだった。不思議なのは、視力の急激な変動だ。視力低下から三か月後、再び視力が一気に回復し、「先生の顔、よく見える!」と言った。

 

母親の話では、証明写真を撮る際、三十秒もじっとできず、写真屋さんが「ここを見て」と言ってもなかなか目線を合わせることができなかった。勝手な想像だが、集中して見ようとすると却って視線が揺らぎ見にくくなるのではないか、と考え、ムキになって集中して見ようとせず、漫然と遠くを見るように助言したこともある。

 

その後も視力の変動はあったものの、黒板の文字や教科書の文字が見えるようになり、クラスでのおしゃべりも減り、置き忘れも少なくなり、忘れ物対策のメモ書きができるようになった。

 

不得意科目が多い中、得意な絵画・工作の教科で貝殻を組み合わせて独特なタッチで見事な工芸品を作ってみせた。首里城の絵を描き上げ「首里城を絵にしてみたけど、海に沈めて竜宮城にした」などと奇抜な発想を口にしたこともある。

 

絵を描く場合、両手に筆を持ち左右に自在に描くので「まるでカニみたいです」と母親は言っていた。ハシも鉛筆も利き手がなく、どちらでも器用に使いこなせるという。

 

中学三年の秋、高校の志望校がようやく決まった。目標ができて、受験に向けがむしゃらに勉強を始めたこともあり、目の痛み、頭痛、肩こり、生理痛に悩む中、受験勉強に本腰を入れた。

次ページ志望校の面接対策…「短所は何ですか」への、答えは。

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    ※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『爆走小児科医の人生雑記帳』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。
    ※「障害」を医学用語としてとらえ、漢字表記としています。

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