東京大学名誉教授で、執筆活動も盛んな医学博士・養老孟司氏。「病院嫌い」の先生は、コロナ禍の2020年6月、悩みながらも実に26年ぶりに東大病院を受診し、中川医師により心筋梗塞を発見されました。しかし病院嫌いは変わらないようです。 ※本連載は、書籍『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)より一部を抜粋・再編集したものです。

「都市」に住んでいると、人は…

統計は「意味を論じるための手段」といいましたが、意味はもともとあるものではありません。

 

都市に住んでいると、すべてのものに意味があるように思われます。それは周囲に意味のあるものしか置かないからです。

 

例えば、都市のマンションの中に住んでいるとします。部屋の中のテレビやテーブルやソファー、目につくものには、すべて意味があります。たまに何の役にもたたない無意味なものがあっても、「断捨離」とかいって片づけてしまいます。それを日がな1日見続けていれば、世界は意味で満たされていると思って当然です。それに慣れきってしまうと、やがて意味のない存在を許せなくなってしまうのです。

 

そう思うのは、すべてのものに意味がある、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、その中で人間が暮らすようにしたからです。都市の中では、意味のあるものしか経験することができません。

 

でも現実はそうではありません。山に行って虫でも見ていれば、すべてのものに意味があるのは誤解であることがすぐわかります。

 

虫捕りをしていると、「なんでこんな変な虫がいるんだ?」と感じることは日常茶飯事です。このような感覚には意味はありません。目に見える世界が変化したということを、とりあえず伝えてくれるだけです。意味というのは、感覚に直接与えられるもの(感覚所与)から、改めて脳の中で作られるものです。

 

都市はその典型で、道路もビルも、都市の人工物はすべて脳が考えたものを配置しています。自分の内部にあるものが外に表れたもの。人が作るものは、すべて脳の「投射」なのです。

 

都市化が進めば進むほど、周囲には人工物しかなくなり、脳が考えたものの中に人間が閉じ込められることになります。都市化も統計化も、抽象とか、解釈とか、脳が考える営みの中で進んできたものです。

 

がんにかかる人がたくさんいるという事実があり、それを把握するため、個別データを取捨選択して集め、特定の手順で抽象化します。そして抽象化されたデータは、現実の解釈に使われ、がん予防のための基礎情報になるのです。

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養老先生、病院へ行く

養老先生、病院へ行く

養老 孟司
中川 恵一

エクスナレッジ

あの「あの病院嫌い」の養老先生が入院した!? 自身の大病、そして愛猫「まる」の死に直面した養老先生が、「医療」や「老い」「大切な存在の死」とどう向き合うかなど今の時代のニーズに合致しつつも普遍的かつ多様な書籍で…

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