(※画像はイメージです/PIXTA)

現在、新型コロナ感染拡大の影響で、在宅医療がスタンダードになりつつあります。麻酔科医から在宅医へと転身した矢野博文氏は書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』のなかで、「最期までわが家で過ごしたい」という患者の願いを叶えるために、医師や家族ができることは何か解説しています。

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末期がんのワンマン亭主鈴木さん(90)「家にいたい」

鈴木さん宅を初めて訪問したのは七月の暑い日でした。古い大きな農家で、立派な門の前に車を止めて少し暗い家の中に入ったとき、鈴木さんは農家特有の広い居間の奥まったところに寝ていました。

 

約二年前に胆管がんで手術をしましたが調子が悪く、何回も入退院を繰り返しているようでした。最近になって肺への転移が見つかり胸水も溜まっているため、呼吸状態は決してよいものではありませんでした。

 

家族は奥さんと二人の娘さんがおり、娘さんたちは独立して近所に住んでいました。基本的には奥さんとの二人暮らしでしたが、娘さんたちのサポートも得られる状況でした。

 

病院ではすでに、胆管がんという診断名も、肺への転移も説明されており、本人は自分ががん末期の状態であることもしっかり認識しているとのことでした。

主治医が覚えた「違和感」の正体は?

初診前の情報では、在宅看取りとしてはよい条件がかなりそろったケースであるかのような印象でしたが、鈴木さんの場合は少し違っていました。鈴木さんに自分の病気をどう考えているのか、やんわりと質問してみました。

 

「ご自分の状態をどんなふうに思われていますか?」

 

という私の問いに、

 

「体重が二八キログラムも減ってしまい、がん末期です。痛みが出なかったら家で好きなことをしようかな……」

 

と鈴木さんは言います。そして次のように続けました。

 

「いかんかったらいかんで、悟っています」

 

この二番目の言葉が少し気になりましたが、自宅療養でも疼痛は十分治療できることをお話しして初診を終えました。

 

しかし、さらにもう一つ違和感を覚えることがありました。

 

末期がんの看取り状態、しかも本人は「家にいたい」と明言しているのに、週一回デイサービスに行くというのです。私たちの初診の時点で、ケアマネジャーはすでにこの家庭の問題に遭遇しているようでした。

ワンマンを突き進む鈴木さんに、家族は疲弊…

初診後の大きな問題の一つは、薬の服用が確実にできないことでした。奥さんが一緒にいるのに、身体の衰弱した鈴木さんが薬の管理をしており、飲み忘れが非常に多かったのです。私たちは薬の内服を朝のみの一回にまとめましたが、それでも確実には飲んでもらえませんでした。

 

また、診察中に下着が尿で湿っていることに気づくことがよくあり、奥さんにそれを伝えるのですが、そっけない反応が返ってくることがほとんどでした。

 

初診から約二週間後に痰をつまらせたようで、一時的な低酸素状態が出現し、私たちは在宅酸素療法(HOT:home oxygen therapy)の導入を提案しました。HOT用の機器を家に搬入する必要があるのですが、当然了解が得られると思っている私たちに対して、奥さんや娘さんは「そんな機器を使うくらいなら、入院させてもらえませんか」と言い、結局HOTの導入は保留となってしまいました。

 

いられるかぎり家にいたいという鈴木さんの希望は変わらず、「家にいられるならデイサービスをもう一日増やしてもよい」と鈴木さんは主張します。一方奥さんは、鈴木さんが夜中に冷蔵庫まで行こうとして歩行器をぶつけてガラスを割ってしまい、「片付けが本当に大変だった」と、それぞれが自分の都合を前面に出して互いに引き下がりません。

おむつ着用拒否の鈴木さん「病人の意見が最優先!」

HOTの導入話をきっかけに、この家族の事情が現れはじめました。

 

そうしている間にも鈴木さんの病状は進み、初診から約一カ月後には鈴木さんはトイレに行けなくなりました。しかし鈴木さんはおむつを拒否し、ベッドや床は排泄物で汚れてしまうようになりました。家族の負担を軽くするため、鈴木さんにおむつを着けるように頼んでも「病人の言うことは聞いてもらわんと……」と言って憚りません。

 

今度は娘さんが「何とか入院させられませんか」と言います。本人の意思を最優先するのが私たちのスタンスであり、本人を無視して入院させるわけにはいかないので、「とにかく家族でしっかり話し合ってください」と私たちは答えるしかありません。

「だましてでも入院させられないか」家族の切なる願い

その数日後、看病に疲弊した家族から「だましてでも入院させられないか」との発言がありました。それでも鈴木さんは「入院しない!!」の一点張りです。鈴木さんと家族の間に入り、私たちは当惑するしかありません。そしてその翌日、それまで何とか正常に保たれていた血液の酸素飽和度が90パーセントを切り、低酸素血症が著明となりました。当然HOTはまだ導入されていません。

 

強制的なHOT導入をこちらが考えはじめた矢先でした。本人から「入院してもええから……」との発言があったのです。おそらく相当苦しかったに違いありません。

 

今までさんざん振り回されたことも忘れて、自分の希望が結局かなえられなかった鈴木さんを悲しく思いながら、病院への救急搬送の手配をしました。

 

鈴木さんは、搬送から一〇日後に病院で旅立ちました。初診から約六週間のかかわりでした。

 

 

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矢野 博文

 

1957年7月徳島市生まれ。1982年川崎医科大学を卒業。以後病院で麻酔科医として勤務。2005年3月よりたんぽぽクリニックで在宅医療に取り組む。

 

 

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