胃炎と誤診され…「三菱財閥の創始者」岩崎弥太郎の壮絶な最期 (※画像はイメージです/PIXTA)

岩崎弥太郎といえば、三菱グループの創始者として、あまりにも有名です。幕末から明治にかけて、日本の激動期を生き抜き、事業を拡大していきました。しかし、岩崎弥太郎は、51歳という若さで亡くなっています。実業家として成功したとはいえ、本人にとってはまだ、「志半ば」だったのではないでしょうか。岩崎弥太郎の波乱に満ちた生涯と、彼の命を奪った病気について解説しましょう。

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岩崎弥太郎とは

岩崎弥太郎は1835年1月9日、現在の高知県安芸市で、地下浪人(じげろうにん)の長男として生まれました。地下浪人とは、土佐藩の身分の1つです。土佐藩の武士には、「上士」と「郷士」という2つの身分がありました。地下浪人とは郷士の浪人のことで、上士の浪人と区別するために付けられた呼び名です。地下浪人とは、40年以上郷士であった者が、郷士身分を人に譲って浪人となり、そのままその土地にに住んでいる者のことです。郷士は上士の下の身分で、地下浪人はさらに下の身分となります。

 

しかし、地下浪人といっても、岩崎家は甲斐武田家の末裔で、家紋も武田家に由来する「三階菱」でした。この三階菱がのちに三菱の名前のもととなり、三菱のマークも、ここから発案されたのかもしれません。

 

由緒ある岩崎家が地下浪人になったのは、曾祖父の時代に凶作が続き、生活が困窮したことに加え、曾祖父が大酒豪だったために身代が傾いて、郷士の身分を売らざるを得なくなったのでしょう。のちに弥太郎も酒が祟って、若くして命を落とすことになりますが、弥太郎の酒好きは、曾祖父からの遺伝だったのかもしれません。

西南戦争で巨万の富を築く

武士としての身分は最下層ながら、弥太郎は類稀な才能を見込まれ、土佐藩重役の後藤象二郎に重用されます。明治になると、後藤象二郎は新政府の重鎮となり、新政府の御用商人となった弥太郎に、次々と政府の仕事が舞い込むようになります。

 

明治初期に起きた佐賀の乱を鎮圧するため、新政府が出兵する際は、弥太郎が運営する海運会社が使われました。同様に、台湾出兵の際も、弥太郎の海運会社が使われたのですが、弥太郎は同業者が断るような危険な仕事も、断らずに引き受けたため、新政府の信用を勝ち取っていきました。そんな弥太郎に、巨万の富を稼ぐチャンスが訪れます。

 

それは、明治10年(1877)に起きた西南戦争でした。弥太郎は、西南戦争に出兵する政府軍の兵士や、物資などの海上輸送を、一手に引き受けることができたのです。新政府が西南戦争につぎ込んだ戦費は、実に4200万円にも及びましたが、弥太郎はそのうち1300万円分の仕事を任されました。

 

諸経費を引いた純利益は700~800万円になり、これを現在の貨幣価値に換算すると、700億円~800億円に相当します。弥太郎は西南戦争で巨万の富を築き、これが三菱財閥の土台となったのです。

岩崎弥太郎の最期

弥太郎は、明治18年(1885)2月7日、胃がんのために51歳で亡くなりました。これより4年前の明治14年(1881)、大酒と美食のためか、あるいは事業のストレスなのか、弥太郎は胃の不調を訴えます。その頃、弥太郎は共同運輸と熾烈な競争を展開していたので、おそらくその心労もあったのでしょう。

 

明治17年(1884)8月、弥太郎は胃痛と食欲不振で医者にかかり、胃炎と診断されます。しかし、9月にはめまいや昏倒を起こすようになり、大量の胃液を吐きました。その後、10月になって胃がんと診断されます。

 

触診で腫瘍がわかるほど進行しており、余命4カ月と宣告されましたが、本人には告げられませんでした。こんな状況でも、共同運輸との激しい競争は続いていました。むしろ、弥太郎が重病と知って、共同運輸は勢いづいたに違いありません。弥太郎は激痛に耐えながら、病床から会社の幹部に対して、何十回も作戦指示を出しました。

 

岩崎邸の別邸で療養生活を送っていた弥太郎は、明治18年2月7日の午後4時頃、呼吸が一時停止します。カンフル注射によって、意識を取り戻すと家族を呼びつけ、集まった家族や会社の幹部の前で、弥太郎は長男を後継者にすると告げました。そして、「腹の中が裂けそうだ、もう何も言わん」と言って沈黙し、右手を高く挙げて亡くなったということです。いかにも三菱グループの総帥らしい、見事な最期でした。

驚くべき葬儀の規模

弥太郎の葬儀のために雇われた葬儀人夫(アルバイト)は、実に7万人にも及んだと言われています。当時は富裕層の葬儀でも、葬儀人夫は100人程度が普通で、多くても1500人くらいだったということですから、これだけ見ても桁外れの葬儀だったことがわかります。葬儀は神式で行われ、祭主は出雲大社の宮司でした。式には大物政治家が多数出席し、財界人やエリート層など、総勢で3万人が集まったということです。

 

ちなみに、葬儀にかかった費用は、当時のお金で1万円でした。現在の貨幣価値に換算すると、10億円に相当するということですから、いかに大規模な葬儀であったかがわかります。弥太郎は最初に胃の異変を訴え、病院にかかった際に胃炎と診断されています。このとき胃がんとわかっていれば、弥太郎はもっと生きられたかもしれません。当時の医療レベルでは、進行した胃がんを胃炎と誤診するのは、やむを得ないことだったのでしょうか。
 

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

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