江戸城無血開城の舞台裏と「晩年の勝海舟」を襲った病気に迫る (※画像はイメージです/PIXTA)

幕末時代、江戸城総攻撃を目前にした、官軍の総帥西郷隆盛に直談判し、江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟。中学や高校の日本史では、無血開城に至った、詳細な経緯までは教わっていませんが、その内容は驚くべきものでした。勝海舟と無血開城の裏舞台と、彼を襲った病気について解説しましょう。

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勝海舟の生い立ち

勝海舟は文政6年(1823)、江戸本所亀沢町に生まれました。先祖は農民でしたが、曾祖父が江戸に出て高利貸で巨万の富を得、三男の平蔵に御家人男谷家の株を買い与えます。つまり、平蔵は農民から、武士の身分になったわけです。この平蔵の末子が勝海舟の父の勝子吉です。子吉は三男だったので、男谷家から勝家に婿養子に出されました。たまたま勝家が旗本だったため、子吉とともに、勝海舟も旗本に名を連ねることになります。

 

その後、坂本龍馬と出会って大きな影響を与え、官軍と直談判して江戸城無血開城を勝ち取るなど、歴史に残る活躍をします。しかし、その晩年は孤独であったと言われています。明治32年(1899)1月19日、勝海舟は風呂上がりに倒れ、脳溢血により帰らぬ人となりました。勝海舟は最後に、「これでおしまい」と言い残して、死んだと言われています。享年77歳でした。

子犬を見ただけで震える

勝海舟は、写真で見ると痩せていますが、官軍陣地に単身乗り込み、無血開城を直談判したことから、少々のことには動じない、肝の座った人物というイメージがあります。しかし、勝海舟は子供の頃、犬に睾丸を噛まれて死にかけたことがあり、大人になっても、子犬を見ただけでブルブル震えていたということです。

 

傷が癒えて日常生活ができるまでに、70日もかかるほどの重症だったということですから、犬に対する恐怖心が染みついてしまったのでしょう。それにしても、無血開城を成し遂げ、坂本龍馬に影響を与えるほどの人物が、子犬を見ただけで震え上がるというのは意外な話です。

江戸城無血開城の舞台裏

西郷隆盛率いる官軍が、江戸城総攻撃の準備を進める中、勝海舟は単身官軍陣地に赴き、西郷と直談判します。その結果、幕府は江戸城を明け渡すことになり、江戸城総攻撃は回避できたとされています。中学と高校の日本史では、この程度しか習っていません。勝海舟と西郷隆盛の、具体的な会談の内容にについては、まったく触れられていないのです。

 

では、実際には、どんな話し合いが行われたのでしょうか。実は、勝海舟は西郷に直談判する前に、「江戸焦土作戦」を計画していました。これは、勝海舟が前もって、江戸中の火消しやヤクザの親分に金を配って、官軍が進撃してきたら、子分を使って市中に火を放つように、頼んでおいたのです。つまり、江戸市中を火の海にして、官軍の進撃を止めるとともに、江戸の町を焼き払うことによって、占領する価値をなくそうとしたのです。

 

さらに、江戸市民を船に乗せて、房総に避難させることも考えていました。このとき、勝海舟から放火を依頼された人物の中には、火消しで有名な新門辰五郎も含まれています。火消しが放火を頼まれて、どんな気持ちだったのでしょうか。勝海舟は、この計画を西郷に打ち明け、圧力をかけました。その結果、西郷が折れて、江戸城総攻撃は中止となったのです。

 

もし西郷が江戸城総攻撃を断行した場合、海舟の焦土作戦が、どこまで有効だったかはわかりません。江戸が火の海となった状態で、果たして江戸市民を船に乗せて、房総へ避難させられるかというと、現実にはほとんど不可能でしょう。その意味では、西郷は折れる必要はなかったはずです。勝海舟は、できもしないことを言っているのですから。

 

しかし、江戸城総攻撃で、江戸市民がどれだけの被害を被るか、このとき西郷は考えたのではないでしょうか。官軍の進撃によって江戸の町が火の海になり、多くの財産と人命が失われたとしたら、その後の新政府樹立に、大きな影響が出るのは避けられません。おそらく西郷は、官軍による江戸城総攻撃で、江戸市民にある程度の被害が出ることは、わかっていたでしょう。

 

しかし、勝海舟が命じて江戸市中に火を放つとなると、話が違います。被害の桁が大き過ぎるのです。火をつけたのは勝海舟だとしても、官軍の進撃が引き金である以上、官軍に対する市民の悪感情を、拭い去ることはできません。賢明な西郷のことですから、そこまで考えて、総攻撃を中止したのではないでしょうか。

勝海舟らしいエピソード

ではここで、いかにも勝海舟らしいエピソードを、いくつかご紹介しましょう。勝海舟(麟太郎)は7歳の頃、江戸城の庭を見学に行った際に、当時の将軍徳川家斉の孫・初之丞の遊び相手としてスカウトされ、2年ほど大奥で過ごしました。こんなスカウトは普通はあり得ないので、7歳にしてすでに、大物の片鱗があったのでしょう。

 

また、勝海舟といえば、咸臨丸で渡米したことが知られていますが、咸臨丸に乗船する際、海舟は妻に、「ちょっと品川まで行ってくる」と言って出かけています。品川に行くのは本当ですが、そのまま渡米することは妻には告げていません。ちょっと常識では考えられない話です。

 

また、「海舟」は勝鱗太郎の号ですが、この号は西洋砲兵術指南の佐久間象山の書「海舟書屋(かいしゅうしょおく)」から、取ったと言われています。しかし、海舟は象山のことが嫌いだったらしく、「物知りだが、大袈裟で、威張っていて、顔つきが奇妙だ」と評しています。

 

顔つきが奇妙というのは、象山の顔は正面から見ると、両耳が見えなかったので、おそらくそのことを言っているのでしょう。ちなみに、勝海舟が佐久間象山と知遇を得たのは、海舟の妹が象山の後妻になったからです。

 

勝海舟と坂本龍馬が出会ったのは、象山のもとに、西洋砲兵術を学びに来た龍馬が優秀だったので、象山が自分の妻(海舟の妹)を通じて、勝海舟に引き合わせたからでした。もし勝海舟の妹が、象山の後妻になっていなければ、海舟と龍馬の出会いもなく、歴史が変わっていたかもしれません。
 

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

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