池田屋での喀血はあったのか…沖田総司の「結核の謎」に迫る (※画像はイメージです/PIXTA)

新選組は、幕末の京都の治安を守るために、結成された組織です。新選組は会津藩に所属して、警察のような活動をしていました。池田屋事件で名を挙げた新選組は、幕府を守るために、敵対する攘夷派の志士を次々と暗殺します。新選組の中で、一番腕がたつといわれたのが沖田総司です。沖田が切り倒した敵は数知れません。しかし、途中で結核にかかってしまい、十分な働きができなくなりますが、その晩年はどのようなものだったのでしょうか。

医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎
 
【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー
 
【期間限定/参加特典付】医師だけしか買えない「不動産投資物件」ご紹介WEBセミナー

沖田総司の生い立ち

沖田総司は天保13年(1842)、江戸の白河藩邸(現在の東京都港区西麻布)で生まれたとされますが、1844年生まれという説もあります。幼い頃に両親を失い、姉が家督を継ぎましたが、生活に困窮する日々が続きました。

 

嘉永3年(1850)、沖田は9歳で天然理心流道場「試衛館」に入門し、近藤勇の養父近藤周助の内弟子になると、すぐに剣の才能を開花させ、たちまち免許皆伝となって、塾頭を務めるまでになりました。そして沖田は、文久3年(1863)、将軍徳川家茂上洛の際、警護のために組織された浪士組の一員として、近藤勇、土方歳三など、試衛館のメンバーとともに京に向かいます。

 

ところが、京で浪士組が分裂したため、近藤が中心となって新選組が結成されます。当時の京の町は、暗殺事件が相次いで起こっていたため、治安を維持するための組織が必要だったのです。

 

その新選組にあって、一番活躍したのが沖田総司でした。沖田の繰り出す三段突きは、あまりの速さに、3回の突きが1回にしか見えないほどでした。しかし、そんな沖田を結核が襲います。新選組の名が、世に知られることになった池田屋事件には、沖田も参加していましたが、戦闘の最中に喀血して戦線を離脱しています。

 

この喀血が本当なら、この頃すでに、沖田の結核は末期状態になっていたことになります。結核は喀血するようになると、1年も生きられないことが多いからです。しかし、沖田は池田屋事件から数年のちに死亡しているので、この点が矛盾することになります。そこで、現在では池田屋の喀血は、なかったのではないかとも言われています。ただし、喀血してから、10年以上生きるケースもあるので、必ずしも間違いとは言い切れないようです。

 

喀血すると1年も生きられないというのは、あくまでも多くのケースがそうであるだけで、正岡子規も最初の喀血から、14年後に亡くなっているので例外もあるわけです。池田屋事件後、沖田は結核と闘いながら、新選組一番隊隊長として任務を遂行します。しかし、慶応4年の鳥羽伏見の戦いに参戦しようとした際に、再び症状が悪化し、戦線離脱を余儀なくされました。その後船で江戸に戻った沖田は、新選組と懇意にしていた、医師の松本良順の治療を受けながら、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で療養していました。

 

しかし、それから約半年後に、27歳(25歳という説もある)という若さで死去します。沖田の死の2カ月ほど前に、近藤勇が斬首されましたが、沖田はそのことを知らず、死の直前まで、近藤のことを気にかけていたということです。

 

沖田は、「色白で美青年の天才剣士」として、描かれることが多いのですが、新選組関係者の談話の中にも、沖田が美青年であったというエピソードは出てきません。普段の沖田は、小さな子供と無邪気に遊ぶような、優しい好青年だったようです。しかし、ひとたび剣を握ると、容赦なく敵を切り倒しました。沖田は新選組隊士の中でも、一番人を切ったと言われており、本気で立ち会えば、近藤も土方もかなわないほどの腕前でした。

どこで結核にかかったのか

では、沖田はどのようにして、結核にかかったのでしょうか。どこで感染症にかかったのか特定するのは、現在蔓延している新型コロナを見てもわかるとおり、非常に困難です。なぜなら、感染症が蔓延すると、どこにも潜在的な感染者がいるため、言ってしまえば、どこでも感染する可能性があるからです。

 

沖田の結核も同様に、どこでかかったのか、断定することはできませんが、京都時代の沖田には、恋人らしき女性がいたことがわかっています。その女性は、町医者の娘だったということですが、2人の仲を裂いたのは、近藤勇だったと言われています。

 

一説によれば、その女性は近藤の養女だったとも言われており、近藤はその養女を、同じく養子にしていた谷周平という新選組隊士と、結婚させるつもりだったようなのです。この女性が、谷周平と結婚したかどうかはわかりませんが、沖田はこの女性から、結核をうつされたのではないかという説があります。しかし、その一方で、女性の父親である医師が、沖田が結核であることを理由に、結婚に反対だったという話も残っています。

 

もしこの説が正しいとすれば、沖田はそれ以前に、どこかで結核にかかったことになり、今となってはどれが正しいのか、はっきりしません。ちなみに、沖田総司の墓は、東京都港区元麻布の専称寺にありますが、京都市下京区の光縁寺には、「沖田氏縁者」と彫られた墓石があり、京都時代の沖田の恋人の墓ではないかと言われています。

 

ただし、これが本当に沖田の恋人の墓だったとしても、町医者の娘と同一人物かどうかは不明です。稀代の天才剣士沖田総司は、このような謎を残したまま、誰にも看取られることなく短い生涯を閉じました。
 

 

医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎
 
【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー
 
【期間限定/参加特典付】医師だけしか買えない「不動産投資物件」ご紹介WEBセミナー

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

連載医師のためのお役立ち情報

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!
会員向けセミナーの一覧