十字軍遠征で注目を集めた「アラビアの医学書」の凄い影響力 (※画像はイメージです/PIXTA)

十字軍とは、キリスト教徒の軍隊がイスラム教徒から、エルサレムを奪還するために行った遠征軍のことです。十字軍遠征は、約200年間に7~8回行われましたが、エルサレムは奪還できませんでした。しかし、200年もの長期間にわたって、キリスト教とイスラム教が衝突したため、政治や文化、医療の融合が起こりました。ここでは、医療の融合にスポットを当てて、解説しましょう。

十字軍遠征の目的

十字軍は、イスラム教徒に占拠された、聖地エルサレムを奪還するために編成された、キリスト教徒の軍隊です。エルサレムは、イエス・キリストが十字架に磔になり、復活したとされる聖地です。そして、エルサレムはイスラム教徒にとっても、開祖ムハンマドがイスラム教を興した、聖なる場所なのです。そのため、キリスト教徒にとっては、何としてもエルサレムを奪還しなければならず、イスラム教徒も、異教徒(十字軍)の侵略から、聖地を死守する必要がありました。

 

ちなみに、十字軍遠征は、聖地奪還という大義名分を立てることにより、ローマ教皇が自身の権威と指導力をしめすために、行われたとも言われています。十字軍に参加する兵士には、罪を免除するという特赦が与えられていました。つまり、十字軍に参加した兵士の中には、何らかの犯罪を犯した者たちも、含まれていたことになります。

1回目の遠征は成功に終わる

最初の十字軍(1096年〜1099年)は、フランス諸侯と神聖ローマ帝国の諸侯という、そうそうたるメンバーが中心となって組織されました。といっても、寄せ集めの軍隊であったため、長期にわたる遠征中に、諸侯の間で内部対立が起こしましたが、エルサレムの奪還に成功します。

 

イスラム教徒にすれば、はるばる遠方から聖地奪還のために、遠征軍を派遣するとは予想していなかったため、虚を突かれた形でした。十字軍は、シリアを中心に、エルサレム王国や十字軍国家を建国し、イスラム教徒と対峙しながら、両教徒が共存する状態が続きました。

 

しかし、エルサレム奪還から約50年ほどたつと、イスラム教徒が勢いを盛り返して、各地で衝突が起こり始めます。そこで、1147年に2回目の十字軍遠征が行われましたが、イスラム教徒の猛攻に遭い、あえなく敗退します。しかも、1187年になると、イスラム勢力がエルサレム王国を陥落させ、十字軍国家も壊滅させられました。

 

そのため、再度エルサレムを奪還すべく、3回目の十字軍遠征が決行されます。これ以降も十字軍遠征が繰り返され、全部で7~8回に及びましたが、遠征途中で内部分裂したり、チフスの蔓延などによって、結局エルサレムを奪還できないまま終わりました。

十字軍遠征が残したもの

十字軍遠征は、膨大な犠牲者を出し、莫大な財政を投入したにもかかわらず、エルサレムが奪還できなかったことを考えると、完全な失敗と見ることもできるでしょう。

 

しかし、十字軍遠征により、東西の文化の交流が起こり、ヨーロッパに東方の文化が流れ込むことになります。そして忘れてならないのが、十字軍遠征によって各地の医療が融合され、その後多くの人命が救われたことです。しかも、救われたのはヨーロッパ人にとどまりません。のちに西洋医学が伝わったおかげで、日本でも多くの人命が救われることになります。

 

十字軍遠征によって、東西の交流が盛んになると、アラビアの進んだ科学技術とともに、医療技術もヨーロッパにもたらされました。イスラム各地では、ギリシア時代のヒポクラテス、ローマ時代のガレノスによる、伝統的な医学がアラビアの医学と融合して、独自の発展を遂げていました。

 

ヨーロッパの医学とは、発想の異なる医療技術が流入したことにより、中世ヨーロッパの医学が急激に活性化します。ヨーロッパにおいて、にわかに注目を浴びることになったアラビアの医学書は、次々とラテン語に翻訳され、各地に広まっていきました。

ヨーロッパ初の医学校

この頃、イタリアのサレルノでは、ヨーロッパで初めての医学校が開校されています。また、医学校に併設された病院では、負傷した十字軍兵士の治療にもあたっていました。医学校に病院が併設する形態は、現代の医大と付属病院に似ていますから、この頃すでに、その原型があったことになります。

 

このようにして、アラビアからヨーロッパにもたらされた医療技術は、のちにオランダを通じて、日本にも伝わることになります。

サレルノ医学校が西洋医学に与えた影響

サレルノ大学は、現存する大学の中では、ボローニャ大学に次ぐ古い歴史を持つ大学ですが、その前身となるのがサレルノ医学校です。しかし、サレルノ医学校がいつ開校されたのか、詳細は不明です。当時のサレルノ医学校には、すでに解剖学教室があり、9世紀には著名な医師が在籍していました。

 

10世紀になると、フランスやイギリスの王族が、治療と保養を兼ねて、保養地としても有名だった、サレルノを訪れるようになります。フランスやイギリスの王族が、わざわざ治療に訪れるほどですから、アラビア医学を融合したサレルノ医学は、当時のヨーロッパ人から見ても、目を見張るものがあったのでしょう。

 

その後、残念なことに、時代の変遷とともにサレルノ医学校は衰退し、1812年に閉校しました。現在のサレルノ大学は、1944年に設立された教員養成大学をもとに、1968年に州立大学として再建されたものです。十字軍によってもたらされたアラビア医学は、サレルノ医学校で熟成され、その後ヨーロッパの近代化とともに、大きく花開くことになります。

 

十字軍遠征によって多くの人命が失われましたが、その一方で、アラビア医学を導入した医学校を設立することにより、どれだけの人命が救われたかわかりません。十字軍遠征の功罪について語るなら、のちの世に与えた影響も加味して、検証する必要がありそうです。
 

 

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

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