「赤痢菌を発見した日本人」ノーベル賞を受賞していない不可解 (※画像はイメージです/PIXTA)

赤痢は、発熱と下痢を伴う消化器系の感染症です。現在は赤痢にかかることはほとんどありませんが、70年ほど前までは発症者の多い病気でした。赤痢菌を発見したのは日本人の志賀潔ですが、偉大な業績を残したにもかかわらず、ノーベル賞などの世界的な評価を受けていません。志賀潔が赤痢菌発見に至る過程を追ってみました。

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志賀潔と赤痢菌発見

志賀潔は1870年12月18日、宮城県仙台市に生まれました。その後、母の生家志賀家の養子になります。東京大学医学部卒業後、北里柴三郎の伝染病研究所、北里研究所に入所し、細菌学と免疫学の研究に従事します。明治30年(1897)に、赤痢菌を発見して一躍有名になり、発見した赤痢菌は「志賀潔赤痢菌」と呼ばれました。

 

赤痢菌は、食物や水などから感染し、人体の中でベロ毒素を作ります。ベロ毒素は、O-157によって、体内で作られる毒素と同じものです。ベロ毒素は、血管内で赤血球が溶ける溶血性貧血、腎臓機能の障害、血小板減少などを引き起こす恐ろしい病気です。

 

志賀潔が赤痢菌を発見した明治30年には、関東を中心に赤痢が大流行し、全国で9万人が感染、東京だけでも死者は2千人を超えました。東京は比較的環境が良かったと言われていますから、地方ではもっと悲惨な状況だったようです。日本全体の致死率は25%にもなり、実に感染者の4分の1が、死亡する事態となってしまいました。

 

1880年代に入ると、これまで多くの人命を奪ってきた、結核やコレラ、腸チフスなどの原因菌が、次々に突き止められました。しかし、赤痢菌だけは正体がつかめなかったのですが、それを突き止めたのが志賀潔だったのです。

 

そこで、発見した志賀潔の名前から、赤痢菌の正式名は「Shigella」に決まりました。病原菌の学名に日本人の名前が冠されたのは、後にも先にもこれだけです。このことからも、志賀潔の赤痢菌発見が、いかに大きな功績であったかがわかります。

 

昭和20年(1945)、志賀潔は東京大空襲で被災し、家が消失したため、生まれ故郷の仙台に疎開します。故郷に帰った志賀潔は、静かに余生を過ごし、昭和32年(1957)に老衰で死去しました。志賀潔は仙台市名誉市民だったため、市葬が行われました。仙台市青葉区北山の輪王寺にある墓所には、今でも医師を志す人が墓参に訪れています。

志賀潔の素顔

志賀潔は、自身の研究生活は、幸運の連続であったと述べています。偉大な功績を残した人物の、謙虚な言葉と受け取ることもできますが、志賀潔の研究生活を見てみると、確かに幸運の連続であったようにも見えます。

 

まず、赤痢菌を発見した当時、志賀潔はまだ北里柴三郎の研究所に、入所したばかりでした。それにもかかわらず、直接北里柴三郎の指導を受けられたことが、赤痢菌発見へとつながりました。また、その当時赤痢は、欧米では流行していなかったので、欧米の研究者が、赤痢菌の研究に着手することはなかったのです。

 

もし欧米でも研究されていれば、赤痢菌の発見者は、別の人物になったかもしれません。さらに、赤痢菌を発見した年は、東京を中心に感染が拡大していたので、志賀潔にとっては研究しやすい状況でした。

 

また、普通なら赤痢の原因菌を探すのは、入所したての志賀潔ではなく、先輩が行うはずでしたが、偶然にもその先輩は留学が決まっていたので、候補から外れました。志賀潔は、「先輩に赤痢菌探索の指示があれば、間違いなく先輩が発見していただろう」と、述べています。確かに、志賀潔にとって、いくつかの幸運が重なったのは事実のようです。

 

しかし、幸運が重なれば、赤痢の原因菌が発見できるわけではありません。幸運に加えて探求心が強く、粘り強い性格であったからこそ、赤痢菌発見という偉業を、成し遂げられたのでしょう。

 

志賀潔は、研究の面では幸運であったかもしれませんが、私生活は必ずしもそうではなかったようです。最愛の妻に先立たれ、戦争で長男を亡くし、三男も結核で死亡しています。細菌学者でありながら、我が子を結核で亡くしたことは、さぞかし無念であったでしょう。

なぜ細菌学者になったのか

志賀潔が医業を志したのは、養家の志賀家が、仙台藩伊達家の藩医の家系だったからです。なぜ基礎医学を選んだのかというと、「患者と接するのは性に合わないと思ったから」だと、志賀潔は述べています。

 

さらに、基礎医学の中でも細菌学を目指したのは、当時細菌学が花形だったからだとも答えています。要するに、これから伸びる分野を、選んだということでしょう。志賀潔は北里柴三郎に命ぜられて、赤痢菌の研究を始めました。しかし、まだ大学を出たばかりで、助手という立場でありながら、志賀潔は北里柴三郎の共同研究者として、論文を発表することになります。

 

ただし、北里柴三郎は前書きを書いただけで、論文は志賀潔1人の名前で出させました。普通なら連名で発表するはずですが、赤痢菌発見の栄誉を助手に譲ったわけです。このエピソードから、北里柴三郎という人物の、懐の大きさがわかります。また同時に、志賀潔が師匠である北里柴三郎に、心酔していたことも窺えます。

 

ちなみに、志賀潔だけでなく、北里柴三郎も同時代の野口英世も、細菌研究の分野で輝かしい功績を残していながら、誰もノーベル賞を受賞していないのですが、これは不可解というほかありません。
 

 

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

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