慶応義塾の創始者・福沢諭吉を輩出した「緒方洪庵の適塾」とは (※画像はイメージです/PIXTA)

緒方洪庵は、オランダ語が堪能な蘭方医で、大阪に「適塾」という私塾を開設し、多くの門人を輩出しました。その中には慶応義塾の創始者福沢諭吉のほか、明治時代に活躍した人物が多数含まれています。適塾とはどんな塾だったのか、早速見てみましょう。

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緒方洪庵と適塾

緒方洪庵は1810年、備中(岡山県)足守(あしもり)藩に生まれました。16歳の時、大坂に出て蘭方医中天游(なかてんゆう)のもとで医学を学び、その後江戸で蘭方医坪井信道に入門し、医学とオランダ語を修めます。その後、天保9年(1838)に、大坂瓦町に医学塾「適々斎(てきてきさい)塾(適塾)」を開きました。

 

適塾はただの私塾ではなく、医学教育を行いながら、患者を診察する病院の役割も果たしており、現在の大阪大学医学部の前身だった施設です。これだけでも、いかに適塾のレベルが高かったかが窺えます。

 

適塾では、天然痘撲滅のために、種痘を普及させる活動もしていました。洪庵は、京都で牛痘接種ををしていた日野鼎哉(ひのていさい)から、種痘苗を譲り受けて多くの人に接種し、感染を抑えようとしました。しかし、漢方医の妨害や一般市民の無知のために悪評がたち、接種は思うように進まなかったようです。

 

その後、大坂奉行所から種痘接種の許可が下り、ようやく種痘接種が可能となりました。適塾では、コレラ治療も行っています。1858年、日本で2度目のコレラ大流行の際、洪庵は「虎狼痢治準(ころりちじゅん)」という治療法で患者を治療し、その詳細を本に著しました。

 

大坂では1カ月に1万人もの市民が死亡するほど、コレラが蔓延しましたが、1人でも多くの市民を助けようと、洪庵は不眠不休で患者の治療にあたりました。

 

文久2年(1862)、幕府の奥医師に就任した洪庵は、翌年54歳で急死します。人生の半分以上を、人命救済と教育に捧げた尊い一生でした。洪庵の墓は東京の高林寺にありますが、大阪市北区の龍海寺にも、洪庵の遺髪を埋めた墓所があり、その隣には妻の八重が眠っています。

適塾は総合的な教育施設

適塾は、慶応義塾の創始者である、福沢諭吉などの著名人を数多く輩出しています。福沢諭吉は医師ではありませんが、適塾は蘭学をもとにした教育施設なので、医師に限らずさまざまな職種の人が、巣立っていきました。適塾は数多くの才能ある若者を育て、日本の近代化に貢献し、明治初年に閉鎖されました。現在、適塾の施設は国の重要文化財に指定され、大阪大学が管理しています。

日本の近代化への貢献

洪庵は、自身も蘭方医として患者を診察しながら、若い人材を育てるという、マルチな活躍をしていました。嘉永2年(1849)に「除痘館」を設立し、無償で種痘を行って地域医療に貢献します。

 

洪庵は、「学問の前に人は平等である」という考えのもと、医者に限らず多くの人材を育てました。江戸時代は、家柄によって役職に就くのが、世のならいでしたが、洪庵はそういった悪習を排除し、成績だけで順位をつける、実力主義の教育を実施しました。

 

適塾を巣立った人材は、福沢諭吉のほかに、近代軍隊を創設した大村益次郎、外交官の大鳥圭介など、実に千人以上にのぼると言われています。適塾は、西洋列強に遅れまいと、日本が近代化を急ぐ時代にあって、数多くの優秀な人材を輩出し、日本の近代化を後押ししました。

 

もし適塾がなかったら、日本の近代化はもっと遅れていたに違いありません。洪庵という先見の明のある人物がいて、適塾という教育施設を作ったからこそ、今の日本があると言っても過言ではないのです。

洪庵の家族

妻の八重は文政5年(1822)、摂津の国に生まれました。父が医師で製薬業だったため、製薬から看護術まで身につけており、まさに洪庵の伴侶にピッタリの女性でした。適塾では、常時60名ほどの塾生が、合宿生活を送っていましたが、八重は塾生の世話を親身になって行ったということです。

 

八重の実家は、彼女が子育てしながら、塾生の面倒を見ているのを不憫に思い、子供たちを預かって育ててくれました。洪庵と八重の間には、七男六女の13人の子供がいたので(4人は夭折)、その世話だけでも大変だったでしょう。

江戸時代の天然痘

私たちは、学校の日本史では、ほとんど習いませんでしたが、江戸時代には天然痘で、数多くの人が亡くなっています。江戸時代の将軍15人のうち6人、天皇14人のうち5人が、天然痘にかかったということですから、一般市民への感染はもっとひどかったでしょう。そのため、当時は毎年人口の1%以上が、天然痘で命を落としていました。

 

イギリスのジェンナーが開発した、牛痘種痘法が日本に入ったのは、嘉永2年(1849)のことでした。洪庵が除痘館を建てて、一般市民に無償で種痘を接種したのは、前述のとおりです。洪庵のおかげで、多くの人命が救われたのです。

洪庵ゆかりの場所

大阪には、適塾のほかにも、洪庵ゆかりの場所があります。

 

*大阪大学医学部

 

明治2年(1869)に、洪庵の息子の惟準を院長として設立された大阪医学校は、現在も大阪大学医学部として存続しています。

 

*大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館

 

洪庵と適塾に関する資料が展示されています。平成29年(2017)は、適塾創設175年、洪庵没後150年の節目だったため、「緒方洪庵・適塾と近世大坂の学知」をテーマに、展覧会が開催されました。

 

*緒方ビルクリニックセンター

 

緒方洪庵記念財団が所有しています。6階建てのビルの4階に「除痘館記念資料室」があり、数多くの医学生や医療従事者が訪れています。
 

 

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

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