副作用で命を落とすケースも多かった?江戸時代の「西洋の薬」と「日本の医学」 (※画像はイメージです/PIXTA)

小石元俊(こいしげんしゅん)は、京都市中京区に医学塾「究理堂」を建て、千人以上の門下生を輩出しました。元俊は当時主流とされた、陰陽五行説に基づく医学に疑問を抱き、当時の先端医療技術である西洋医学を導入するために、蘭学を広めました。元俊とはどんな人物だったのでしょうか。元俊の生い立ちと、足跡を追ってみました。

医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎
 
【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー

小石元俊とその子孫

小石元俊は寛保3年(1743)、現在の京都市西京区桂に生まれました。寛延3年(1750)、父に従って大坂に移住した元俊は、医学を志します。元俊は山脇東洋門下で、柳河藩医の淡輪元潜に師事し、オランダ医学に触れる機会を得ます。つまり、元俊は日本で初めて人体解剖を行った、山脇東洋の孫弟子にあたるわけです。

 

元俊は、関西における蘭医学の中心的存在で、杉田玄白の「蘭学事始」にも名を連ねています。杉田玄白や大槻玄沢など、江戸の蘭学者とも親しく、関東と関西の蘭学の交流にひと役買っていました。

 

元俊は天明3年(1783)に、京都伏見で人体解剖を行い、その様子を「平郎臓図」に残しています。解剖の際に、元俊は画家を3人立ち会わせ、頭蓋内や内臓などを克明に写生させました。また、元俊は寛政8年(1796)にも人体解剖の機会を得て、「施薬院解男体臓図」を発行しています。

 

このように、山脇東洋の孫弟子にあたる元俊の活躍には、東洋も及ばないほどの、目覚ましいものがあります。元俊の長男、元瑞も医師を志し、16歳で江戸に赴くと、杉田玄白、大槻玄沢などに師事して京都で開業医となり、究理堂医塾を引き継ぎました。

 

元瑞はその後、柳川藩主の重度の尿血症を治癒したことから、養老俸30口を賜り、その名声を全国に知られることになります。一躍有名になった元瑞のもとに、全国から多くの患者が押し寄せました。そのため、生涯で元瑞が治療した患者は、実に1万人以上にのぼると言われています。

 

父の元俊に次いで息子の元瑞も、今でいう地域医療に大きく貢献しましたが、元俊が開設した小石医院は究理堂跡とともに現存し、元俊の遺志を継いだ子孫が、代々医業にあたってきました。

蘭学の隆盛と元俊

日本で蘭学が盛んになったのは、江戸時代の中頃からでした。当時は、東洋医学の陰陽五行説に基づく思想が、根強く残っていました。そこで、陰陽五行説の五臓六腑説に、疑問を持った山脇東洋が人体解剖を行い、五臓六腑説が間違っていることを証明しました。

 

しかし、山脇東洋の孫弟子にあたる元俊の時代になっても、まだ陰陽五行説の影響は残っていたのです。当時、江戸には蘭学を信奉する先進的な医師が、数多く輩出していましたが、西日本ではまだ、陰陽五行説に基づく医療が続けられており、東西で格差が見られました。

 

この状況を重く見た元俊は、江戸の蘭学者である、杉田玄白や大槻玄沢から学んだ蘭学を、自身が拠点とする京都を中心に広めていきます。やがて、元俊の努力の甲斐あって、東西の医療レベルの格差は小さくなっていきました。

 

その後、伝統的な漢方医の中にも、蘭学者の提唱する、西洋医学を取り入れようとする動きが見られるようになり、漢方医学と東洋医学が融合した、日本独自の医学が誕生しました。その結果、江戸時代の医学は、西洋医学よりも進んでいたとさえ言われています。では、当時の医学がどう進んでいたのか、詳しく見てみましょう。

江戸時代の医療レベル

江戸時代の日本の医療は、西洋医学が導入されたことによって、大きく前進しました。五臓六腑説にこだわる、日本の旧態依然とした医療とは違って、人体解剖を繰り返し行い、着実に外科手術の技術を向上させてきた西洋医学は、当時の日本の医師から見ると、かなりレベルの高いものでした。

 

しかし、劣っていると見られていた日本の医療の中にも、優れた部分がありました。それは、「消毒」に関する日本の慣習です。日本では古くから、怪我をすると、傷口に焼酎をかける習慣がありました。時代劇の中にも、傷口に焼酎を吹きかけるシーンが登場するので、ご覧になった方もいるでしょう。日本人は、傷口に焼酎をかけると治りが早いことを、経験から知っていたのです。

 

これは、傷口を消毒することによって、化膿を防止できるので治りが早いのですが、当時はそんな知識はなく、ただ経験上「焼酎は傷に効く」ということだけで使われていました。

 

ヨーロッパでは手術の際に、傷口や手術道具を消毒する習慣がなかったので、術後に化膿したり、敗血症で命を落とすケースが多かったのです。細菌や、ウイルスの存在を知らない当時のことですから、手術は成功したのに、他の「何か」が原因で、死んだとしか考えられなかったことでしょう。その点、日本では焼酎で傷口を洗う習慣があったので、西洋医学が導入されると、手術後の生存率はヨーロッパより高くなったのです。

西洋医学の薬は粗悪品だった

江戸時代の日本では、手術に関する技術は積極的に取り入れられましたが、薬はなぜか従来のように、漢方薬が使われていました。実はこれが幸いしたのです。当時、ヨーロッパで使われていた薬には粗悪品が多く、薬の副作用で命を落とすケースも、少なくありませんでした。

 

日本は長年鎖国をしていたために、西洋文明から大きく遅れてしまったと思われがちですが、手術や投薬後の生存率は、日本のほうが高かったようです。このように、元俊の活躍した時代は、西洋医学と日本の民間医療が、混じり合った混沌とした時代でした。ヨーロッパより劣っていた日本の医療を、西洋医学を導入することによって向上させ、西洋諸国を上回る生存率を獲得できたのは、蘭学を広めた元俊らの地道な努力があったおかげなのです。
 

 

 

医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎
 
【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

連載医師のためのお役立ち情報

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!
会員向けセミナーの一覧