うつ、不安・緊張、対人関係の問題、依存症――近年、これらの悩みを抱える人はますます増えている。実は、それぞれに共通する原因になり得るものとして、親との関係によって築かれる「愛着」がある。ここでは、「愛着アプローチ」という手法を用いて、現代人の悩みの解決に寄与したい。※本連載は、精神科医・作家である岡田尊司氏の『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』(光文社新書)より一部を抜粋・再編集したものです。

嫌なことを「悪いこと」として受け止めないで

客観的に考えれば、「すべてが悪い存在」もいなければ、「すべてが良い存在」もいない。うまくいかないことが「誰か悪い人のせい」であるということも、ほとんど思い込みであることが多い。人は失敗や過失を犯すこともあるが、「すべてが悪い」と考えることは、事実というよりも、その人の心が生み出す思い込みに過ぎないのである。

 

そもそも、こうした受け止め方の根底には、「嫌なこと、うまくいかないこと=悪いこと」とみなす思考パターンがある。実際は、嫌なことやうまくいかないことというのは、たとえば荒天のように、避けられないことである。それは「悪い」と感情的に反応すべきことではない。人間の思惑とは関係なく生じる、自然現象のようなものなのである。

 

嫌なこと、うまくいかないことがあっても、それは偶発的な出来事であり、それに感情的に反応するのをやめれば、うまくいかないことが起きても、それが非難すべき悪いことだとか、誰か悪い人のせいでそうなったのだという発想をやめることができる。

 

また、たとえ相手に原因があるように思えることで、嫌なことが起きたとしても、その「嫌なこと」と「相手」とを同一視しない。たとえば、そそっかしい子どもがジュースの入ったコップを倒して、せっかくの洋服を汚してしまったとする。この状況を見たとき、「その子がそそっかしい『悪い子』だから、洋服を台無しにするという『嫌なこと』が起きてしまった」と受け止めてしまうと、「嫌なことをした悪い子を懲らしめなければ」という気になってしまう。

 

しかし、別の見方をすれば、その子はコップを倒してしまったが、それは故意にやったわけではなく、慌ててしまったため、そうなったのである。その子も「自分の失敗で叱られる」と思って、つらい気持ちになっているに違いない。

 

その子は「悪い子」などではなく、ただ、不運なアクシデントで失敗をしただけである。人間は誰しも失敗をすることがあるし、失敗をしたからといって、その人が「悪い人」だということにはならない。失敗をしたことを根拠に、悪いという価値判断を下すのは、困っている人を鞭打つようなものではないか。それよりも、失敗をして落胆している可哀想な子として受け止め、「大丈夫だよ」と慰めた方がいいのではないのか。

 

その子の失敗を、「嫌なこと」と受け止めず、「たまたま起きた不運な出来事」だとか、「誰にでもありがちなこと」と受け止めて、大騒ぎせず、むしろ、「大丈夫だよ」とその子を安心させてあげることで、その子自身も、「アクシデントが起きても大丈夫、冷静に乗り越えていける」ということを学ぶ機会にできる。

 

※なお、本文に登場するケースは、実際のケースをヒントに再構成したもので、特定のケースとは無関係であることをお断りしておく。

 

 

岡田 尊司

精神科医、作家

 

愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる

愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる

岡田 尊司

光文社

幼いころに親との間で安定した愛着を築けないことで起こる愛着障害は、子どものときだけでなく大人になった後も、心身の不調や対人関係の困難、生きづらさとなってその人を苦しめ続ける。 本書では、愛着研究の第一人者であ…

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