日本初の人体解剖で「頭の部分だけがなかった」…恐ろしい理由 (※画像はイメージです/PIXTA)

医学の進歩のためには、人体を解剖して、直接人体の内部を見ることが大切です。日本で初の人体解剖というと、「解体新書」を著した、杉田玄白を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、杉田玄白よりも前に、人体解剖を行った人物がいます。日本初の人体解剖はどのように行われたのか、詳しく見ていきましょう。

山脇東洋とは

日本で初めて人体解剖を行ったのは、宝永2年12月18日(1706年2月1日)に、現在の京都府亀岡市で生まれた、山脇東洋という医師です。父親も医師であったため、東洋も医師を目指しました。東洋は父親の師で、宮中の医官を務める山脇玄脩の養子となります。やがて、養子先で家督を継いだ東洋は、徳川家の8代将軍吉宗に謁見し、その後中御門天皇の侍医になったほどの人物です。当時は陰陽五行説に基づいて、人体は五臓「肝、心、脾、肺、腎」と、六腑「大・小腸、胆、胃、三焦、膀胱」に分かれていると、考えられていました。

 

ちなみに、「三焦」とは、リンパ管のことであろうと思われます。しかし、東洋はオランダのヨハネス・ヴェスリングが著した、「解剖学の体系」を愛読しており、人間の臓器に近いとされる、カワウソも解剖していたので、五臓六腑説に疑問を抱きます。これを確かめるには、実際に人体を解剖してみるしかありません。

 

しかし、当時人体解剖は御法度とされていたので、確かめることはできませんでした。そんな東洋に、思わぬチャンスが巡ってきます。東洋は宝暦4年(1754)2月7日、斬首された罪人の遺体を、解剖する機会を得たのです。

人体解剖の詳細と杉田玄白

東洋は、人体解剖から5年後に、その内容をまとめた解剖書「蔵志」を著しました。蔵志には、「胸腹を剥ぐの図」「九臓前面の図」「九臓背面の図」「脊骨側面の図」「心の背面図」の、5つの解剖図が掲載されています。

 

斬首された死刑囚を解剖したので、解剖図には頭部はありませんが、内臓の大きさや色、形を正確にスケッチしたこの書を見ると、東洋医学の五臓六腑説が誤りであることがわかります。

 

人体解剖というと、杉田玄白が有名ですが、東洋は杉田玄白の腑分けより、17年も前に解剖を行っていたのです。ちなみに、杉田玄白は、東洋の弟子である小杉玄適の同僚でした。つまり、東洋は杉田玄白の師匠筋に当たるのです。

 

玄適から解剖の話を聞いた玄白は衝撃を受け、のちに「解体新書」の翻訳につながったと言われています。東洋は、当時タブーとされていた人体解剖を行ったので、各方面から批判を受けましたが、彼のお陰でその後医学が大きく発展したことは、間違いないでしょう。

 

ちなみに、東洋は解剖した遺体に「夢覚信士」という戒名をつけて手厚く葬り、「骨は朽ちても、その功績は永遠に残る」という弔辞も書いています。このことから、罪人の遺体を解剖するからといって、雑な扱いをしたのではなく、敬意を払って解剖したことが覗えます。

初の人体解剖書には不備があった

東洋の人体解剖図には頭部がなく、小腸と大腸が区別されていないなど、不備な点がありました。東洋はこれを素直に認め、今後さらに正確な人体解剖が行われることを、希望すると述べています。つまり、もっと正確な人体解剖図を作成するよう、後進に委ねた形ですが、実は東洋自身も宝暦8年(1758)に、もう一度解剖を行っています。2度にわたる東洋の人体解剖によって、当時日本に入っていた、オランダ医学書の人体解剖図が、正確であることが証明されました。

 

解剖図が正確であると判明したことによって、オランダ医学書全体の信頼性が高まることになります。その後、東洋の影響を受けた杉田玄白、前野良沢なども積極的にオランダ医学書の翻訳を行って、日本の医学が発展する基礎が出来上がったのです。残念なことに、東洋は宝暦12年8月6日に食中毒を起こし、2日後に亡くなりました。医学の発展に身を捧げた、58年の生涯でした。

徳川吉宗の先見の明

東洋が生きていた時代、日本は鎖国をしていましたが、8代将軍徳川吉宗は産業の発展のために、キリスト教関係以外の洋書の輸入を緩和しました。しかも吉宗は、青木昆陽や野呂元丈にオランダ語を学ばせて、ヨーロッパの文化や技術を、積極的に導入しようとしました。吉宗の後押しによって、いわゆる蘭学が発展していったのです。

 

東洋の人体解剖は、こういった時代背景があったからこそ、できたとも言えるでしょう。つまり、徳川吉宗という先見の明のある将軍がいなかったら、東洋による人体解剖も行われず、日本の医学はもう少し遅れていたかもしれないのです。

東洋の人体解剖は本当に日本初なのか

東洋が生きていた当時、人体解剖は御法度だったので、内臓が人体によく似た、カワウソを解剖していたとされています。東洋はオランダのヨハネス・ヴェスリングの「解剖学の体系」を愛読しており、しかも自らカワウソを解剖した結果、東洋医学の五臓六腑説に疑念を抱いたことは前述の通りです。

 

しかし、ここで1つ疑問が出てきます。

 

人体解剖が御法度だった当時、どうしてカワウソの内臓が、人体に似ていることがわかったのでしょうか。人体とカワウソの両方を、解剖したことのある人物がいたからこそ、両者が似ていることがわかったのでしょう。となると、東洋より前に、すでに誰かが人体を解剖していたことになります。そう考えると、「わかっている限りでは、日本初の人体解剖を行ったのは、山脇東洋である」というのが、正解なのかもしれません。
 

 

 

 

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

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