【推定死者数1億人】新型コロナに似ているといわれるスペイン風邪とは? (※画像はイメージです、シーボルトの像/PIXTA)

今から約百年前、スペイン風邪という病気が世界中に蔓延しました。最初に流行したのは1918年で、スペイン風邪はその後、3年にわたって猛威を振るいます。しかし、日本だけでも、2千万人以上がかかったといわれるスペイン風邪のことは、筆者は、日本史の授業で何も習いませんでした。1918年に起きた大きな出来事として、日本史の教科書には「米騒動」が書かれていたと記憶しています。どう見ても、米騒動よりスペイン風邪のほうが、重要だと思うのですが……。そこで、今回はスペイン風邪について、詳しく解説することにします。

スペイン風邪とは

スペイン風邪という名前がついていますが、別にスペインから広がったわけではありません。スペイン風邪が流行した1918年は、ちょうど第一次世界大戦の真っ只中だったので、大戦に参戦していた国々は、自国のスペイン風邪の患者数などについて、一切公表しませんでした。もし公表してしまうと、「あの国は患者数が多いから攻めるなら今だ」と、敵国を勢いづかせる恐れがあるからです。

 

しかし、第一次世界大戦に参戦していなかったスペインだけは、毎日患者数を公表していたので、いつしか「スペイン風邪」と呼ばれるようになったのです。スペイン風邪は、「H1N1新型インフルエンザウイルス」によって起こりました。1918年から1920年にかけて大流行し、感染拡大の大きな波が3度襲ったと、伝えられています。

 

しかし、スペイン風邪は流行から3年後、ワクチンが開発されたわけでもないのに、自然に終息しました。当時世界の人口は約18億人でしたが、実にその3分の1がスペイン風邪にかかり、5千万人以上の人が死亡したとされていますが、一説には1億人以上が死亡したとも言われています。

 

第一次世界大戦の死者が約1千万人ですから、スペイン風邪の死者がいかに多いかがわかります。当時、日本の人口は約5千5百万人でしたが、そのうち約2千3百万人が感染し、約45万人が死亡しました。実に全国民の4割以上が、感染したことになります。

国内各地の感染状況

スペイン風邪は、日本国内でどのように猛威を振るったのでしょうか。何箇所かポイントを絞って見てみましょう。

 

まず神戸です。神戸でもスペイン風邪の感染が拡大しました。神戸には海外からの船舶が頻繁に出入りしており、人の流れや接触が多かったので、感染が広がりやすい状況でした。市電の運転手が多数スペイン風邪に感染し、運転士不足により、運行本数が減らされたという記録が残っています。京都は観光地なので人の往来が多く、第2波では東京以上に死亡率が高くなりました。

 

また、青森も感染が広がった地域の1つです。青森は人口は多くないものの、当時は北海道への出稼ぎ者が多く、全国から北海道に集まった、出稼ぎ者の間で感染が広まり、そこで感染した青森出身者が、地元に戻ったために感染が拡大しました。ちなみに、青森は青函連絡船の発着地なので、全国から多くの人が集まったために、感染が広がったとの見方もあります。

日本でも感染者が続出

スペイン風邪は、大きな流行の波が3回ありました。第1波は1918年5月~7月までで、日本でも多くの感染者が出たものの、死者は少なかったようです。第2波は1918年10月~翌年5月頃までで、変異株が出たために致死率が上がり、日本では26万6千人が亡くなりました。

 

第3波は1919年12月~翌年5月頃までで、第2波より感染者数は少なかったものの、18万7千人が亡くなっています。第3波の致死率は実に5%にものぼり、変異株の脅威をまざままと見せつけました。

 

ちなみに、スペイン風邪による日本全体の致死率は0.8%でした。欧米をはじめとする先進国では、軒並み1%を切っているのに対し、開発途上国の致死率は高く、特にインドでは6%にものぼっています。

与謝野晶子の抗議

スペイン風邪が、日本に蔓延する兆しが見えているにもかかわらず、当時の政府も新聞も、あまり警戒を呼び掛けていなかったようです。これが、感染が拡大した1つの要因と見られています。大した感染症ではないと甘く見たために、集会やイベントなどの制限もされず、感染が広がっていきました。

 

この事態を憂慮した与謝野晶子は、学校や集会所や工場など、人が多く集まる場所を閉鎖するよう新聞に投稿し、これらの施設を閉鎖しなかった、政府の無策を非難しました。感染症の拡大を抑えるには、できるだけ早急に、行動制限を実施することが重要だと、彼女は訴えたのです。

新型コロナとの共通点

スペイン風邪も新型コロナも感染症ですから、この2つには多くの共通点があります。まず、人流や人が密集することによって、感染が拡大します。次に、感染は何度かの波を繰り返してさらに拡大し、しかもあとの波のほうが、より強い感染力を持つ傾向があります。さらに、感染が拡大しながら、ウイルスが変異して致死率が高まる点も同じです。百年前と比べて、現代の医学レベルは格段にアップしています。

 

しかし、感染を抑える有効な手立ては、やはり人流を抑えることと、密を避けることに尽きると言っていいでしょう。ウイルス感染は、人が人にうつすものですから、いくら医学が進歩しても、これだけは変わりません。どんなに有効なワクチンや治療薬が開発されたとしても、人流と密を避けなければ、感染を抑えることはできないのです。スペイン風邪は幸いなことに、3年後に自然に終息しましたが、果たしてコロナも同様に終息するかどうかは、3年経ってみないとわかりません。

著名人の感染者

スペイン風邪は、政治の要職にある総理大臣原敬や山形有朋、大正天皇、のちに昭和天皇となる皇太子も感染しました。政治家も皇族も、会議や宴席などの出席が多いために、感染したのではないかと考えられています。

 

この皇太子とは、のちの昭和天皇のことです。次の天皇が致死率の高い感染症にかかるのは大変なことですから、いかに当時の日本が危うい状況だったかがわかります。

 

 

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

著者紹介

連載医師のためのお役立ち情報

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!