命を失う妊婦が多かった…日本初の女性産科医・楠本イネの奮闘 (※楠本イネの父、シーボルトの像/PIXTA)

楠本イネは、日本の女医第1号と言われていますが、彼女の前に何人かの女医がいます。楠本イネは、日本女性初の産科医というのが正しいようです。楠本イネは、オランダおいねと呼ばれたシーボルトの娘ですが、その生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。日本女性初の産科医の、数奇な人生をたどってみましょう。

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楠本イネと彼女が生きた時代

楠本イネは、文政10年(1827)5月6日に、父シーボルトと遊女瀧の間に生まれました。イネが3歳の頃、シーボルトは故国であるオランダに帰ってしまいます。幼い頃から読み書きが得意だったイネは、寺子屋で早くも、才能の片鱗を見せるようになります。イネは物覚えがとても良くて、当時からずば抜けた秀才だったのです。

 

ただし、当時は「女が学問なんて」という時代でしたから、イネの才能が、正しく評価されることはありませんでした。しかし、彼女はその逆境をバネに、「もっと学問がしたい。オランダ語を覚えてお父様に手紙を書きたい」と、思うようになりました。この「負けん気」と向上心が、彼女を成長させたのです。

 

12歳になると、イネは母親の瀧のもとを離れ、四国の阿波で外科学を学びます。さらに、19歳になると、今度は備前(岡山)で産科学を学びました。それから間もなく、イネは愛媛の宇和島で産科医院を開業します。イネはさらに、江戸末期に長崎に来た、オランダ人医師ポンペ、ボードイン、マンスフェルトの3人に師事し、産科医としての腕を磨き、東京で産科医院を開業しました。

父シーボルトとは

シーボルトは、1796年2月17日にドイツで生まれました。父親が医学者だったため、彼は大学の医学部に進み、医師を志します。卒業後陸軍軍医となったシーボルトは、オランダの命令で日本に赴任します。シーボルトは、文政6年7月6日(1823年8月11日)に、長崎に到着しました。

 

当時、来日した外国人は、長崎の出島から出ることは許されませんでしたが、医師だったシーボルトは、長崎の病人の診察のために、特例として外出が許可されました。この時期に、シーボルトは遊女瀧と知り合い、のちにイネが生まれることになります。

イネの苦悩

幼い頃のイネは、オランダ人の娘であることを理由に、言われのない差別を受けていました。「周囲の冷たい視線を跳ね返すには、学問をするしかない」イネは成長するにつれ、そう考えるようになりました。しかし、母親である瀧の考えは、まったく違っていたのです。「おなごに学問はいらぬ。針仕事が大事」というのが、瀧の口癖でした。瀧はイネに、平凡な女の幸せを望んでいたのです。しかし、イネは「こんな異人の娘をもらってくれる人などいない」と反発します。イネは、父であるシーボルトのような、立派な医者になりたかったのです。

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

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