現代に生まれてよかった…戦国時代「今ではありえない治療法」 (※写真はイメージです/PIXTA)

戦国時代は、敵味方が入り乱れて、切り合いになる場面が多かったに違いありません。では負傷した場合、戦場ではどのような治療が行われていたのでしょうか。調べてみると、現代医学では考えられないような、あっと驚く応急手当もあったようです。

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傷の種類に合わせた治療

時代劇や大河ドラマなどで合戦シーンを見ると、刀で切りかかるシーンが多いのですが、実際の合戦では、槍を使うことが多かったようです。ただし、槍を使うのは至近距離まで近づいてからで、まず合戦の最初に行われるのは、弓矢による攻撃でした。

 

では、矢で射抜かれた場合、どのように治療するのでしょうか。たとえば、大腿部を矢が貫通した場合、最初に行うのは鏃(やじり)という、先端の尖った金属部分を折ることです。それから、ゆっくりと矢柄を引き抜きます。しかし、手では抜けないので、くぎ抜きのような道具を使って、抜いていました。矢を引き抜くと急に出血する恐れがあるので、止血のための布も必要になります。

 

当時は、戦場に医者などいませんから、これらの治療は仲間どうしで行われていました。つまり、医師でも何でもない、一般の兵士が治療に当たっていたわけですから、治療は雑で荒っぽいものでした。

 

負傷者が内出血している可能性がある場合、横に寝かせると体内に血液が溜まるので、当時は負傷者を立たせたまま治療するのが基本でした。また、時には木に縛り付けて、治療を行っていたと言いますから、現代ではとても考えられません。現場の状況を想像してみると、まさに荒療治という言葉がピッタリな光景です。

 

ちなみに、戦国時代の武士は鎧兜で身を護っていたため、攻撃を受けて負傷するのは、首と大腿の内側、脇の3か所に限られていました。首を切られたり脇を槍で刺されると、致命傷になり絶命する可能性が高いので、実際にこれらの治療が行われるのは、太腿の内側を負傷したケースがほとんどでした。

 

十分な治療ができない戦場では、刀や槍による傷は傷口を洗って止血し、縫合するだけで終わることが多かったようです。当時は感染症の知識がなかったので、戦場から無事帰還しても、傷口から入った細菌による感染症で、命を落とすこともありました。

鉄砲傷の治療

種子島に鉄砲が伝来し、戦国時代の途中から、戦場に鉄砲が登場するようになります。鉄砲の威力はすさまじく、織田軍と武田軍が激突した長篠の戦いでは、3千挺の鉄砲を持つ織田軍が、武田騎馬隊をいとも簡単に殲滅してしまいました。

 

鉄砲傷には、貫通銃創と盲貫銃創があります。貫通銃創は弾が抜けていますが、盲貫銃創は弾が体内に残ったままになっています。当時の弾は鉛製だったので、体内に残ったまま放置すると、鉛毒で死んでしまいます。そこで、傷口を切開して、現代でいうペンチのようなもので、弾を取り出していました。しかし、切開手術を麻酔なしで行うので、激痛のために命を落とすこともあったようです。

 

 

1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

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